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2015年06月22日06:08

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沖縄で栽培されていたコカ

沖縄武田薬草園跡(名護市)【放送日 H22.4.28】
http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/senseki/detail69.html

>名護市内原区の「沖縄武田薬草園跡」です。
名護市では戦時中、麻薬のコカインの原料で、麻酔薬にも使われるコ力という植物が栽培されていました。今は住宅や畑が広がるこの場所は、「沖縄武田薬草園」と呼ばれていました。東京ドーム10個分の広さです。
戦争の足音が聞こえ始めると、コ力から作られる麻酔薬は、負傷兵の手術に欠かせない軍需物資になりました。製薬会社には、軍人の姿が目立つようになりました。そして太平洋戦争が始まると、コカ畑は増産を求められ、出荷量は、戦前の30倍以上にふくれあがりました。
しかし、戦況の悪化に伴って、コ力畑も、アメリカ軍から繰り返し攻撃を受けるようになりました。沖縄本島にアメリカ軍が上陸するころには、コカの栽培は中止されました。


武田薬草園の役割は、軍事的にも重要な意味を持っていた。薬草園が開設されたのは、一九二九年(昭和四)で、約一八万本の「コカ」が栽培されていた。コカは、外科の麻酔剤である「塩酸コカイン」を抽出する原料である。
軍は薬草園について、「軍隊一個師団(戦時編制で約二万人)に相当する」と強調していた。薬草園では、コカの葉を採取して乾燥し、粉末にして梱包し、大阪の武田本社へ送っていた。戦時中には、コカ葉の採取に、県立三中や県立三高女の生徒も動員された。沖縄戦のときには、北部戦線で使用される医薬品が集積されていた。

三高女生徒の奉仕活動で注目すべきは、内原薬草園のコカの葉採集作業である。コカインの原料として
武田薬品株式会社が50町歩もの広大な畑をもち、軍隊はじめ、麻酔薬の供給源の一つとなっていた。大阪本社への運搬作業には鮮鮮入寒夫も加わっていたという。

武田薬品工業が敗戦まで「コカ」を栽培していた武田薬草園の跡地が残されていました。第3高女の生徒が動員されて栽培に従事させられていたそうです。
35年に初出荷されて、「コカ」は局所麻酔に使われ、軍と武田薬品がぼろ儲けをしたそうです。

先日、大学院生に、たまたま、名護の内原の民宿であったので、民宿の地はいかなる場所か。武田製薬が日本有数の製薬会社に発展するルーツは、武田薬草園(民宿の建つ地45町歩)のコカ栽培にあると推測している。

☆☆☆名護市の羽地、我部祖嘉には本社をもつ武田薬品会社の経営する薬草園があった。その薬草と言うのは塩酸コカインの原料となるコカであった。この薬草園にくわしい沖国大の安仁屋政昭享受の話によるとー。この薬草園は軍事上からも重要な任務をおびていた。沖縄守備軍の、ある高官が薬草園は一個師団にも相当すると語ったほどだ。
塩酸コカインは戦時医薬品、つまり外科の麻酔剤としての絶対不可欠なものであった。戦争が緊迫化してくると南方からこの原料が輸入できず唯一の供給地はこの薬草園だけだったという。
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