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2019年04月26日20:57

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Tranz

人智を超えた何ものかが100%だ。
だが、「人智を超えた何ものかが100%だ」と口に出して伝えることは絶対にできない。
だから人智を超えた何ものかは「人智を超えた」何ものかなのだ。

虚数みたいなものだ。
「ない」前提の「ある」。もしくは、「ある」前提の「ない」。

人智を超えた何ものかを半分前提とする。
だから、甲子園の決勝の舞台における東北地方の高校とその相手校との試合がベルセルクでいう「蝕」だということを、大阪桐蔭と金足農との試合の結果が出るまでは、絶対に言わなかった。

人智を超えた何ものかが100%という絶対的な確信を基軸にしつつ、絶対に人智を超えない範囲で生きる。

それが人生だ。


でも、もう一言だけオーケイですか?神様@高見広春バトルロワイヤル

俺や何人かの一生独身と「日本人」の絶滅がリンクし合っている、カルヴァン言うところの「Calling」(言い換えるなら「天命」か)が人智を超えた何ものかのささやきであるという絶対的な確信が俺にはある。俺には人智を超えた何ものかの声が聞こえる。そういう圧倒的な「狂信」がある。

そういう「圧倒的光」・・すなわち「絶対的光」の前には、俺の人生・・仕事などひとえに風の前の塵に同じ。

目のくらむような太陽光に押しつぶされる極小の「黒点」のようなものだ。

科学の進歩で、我々は太陽の黒点を観測できるようになった。

どんなに科学が進歩しても絶対に観測し得ない圧倒的な光に埋もれた黒点。

ブラックホールも観測されたらしい。

人智では絶対に観測し得ない何かはある。

人智を超えた何ものかを前提として生きることは「見えないものを見る」ことに他ならない。

俺には「心眼」という「狂信」がある。
「心眼」で写した絵に映る風景。

その狂気の世界に、我々は突入している。
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