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2022年06月19日23:20

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本棚495『ロシア文学の食卓』沼野恭子(ちくま文庫)

 この本は、単にロシア文学に現れるロシア料理を紹介するだけでなく、前菜やスープ、メイン、デザートといったコース仕立てで魅力的な数々の食べ物の説明を行いつつ、ひいてはロシアの文化や歴史も知ることができる名著だと思う。紹介される小説は知らなかったものも多いけれど、その本質を的確に捉え、どの本も手にとってみたくなる。小説における食べ物の絶妙な効果も面白い。ある作品では、ボトヴィーニヤという氷の浮かぶ冷たいスープで高揚した恋情を抑えようとする一方、別の作品では、ボルシチやシチーといった温かいスープが徐々に恋愛を醸成させていくという対比は、「小道具」以上の食べ物の持つ力が感じられた。

 ロシア文学は、物質的·肉体的なものよりも精神的なものに重きを置き、食事の場面は必ずしも多くなく、ロシア正教では肉食が禁じられる精進の期間が年二百日もあると言うが、様々なロシアの小説における、太宰治の『津軽』の饗応ばりの豪奢な料理の列挙は、抑えられた食への切望が一挙にほとばしるようだ。短い夏の終わりに熱情を爆発させる青森のねぶた祭のような力強さも伝わってくる。

 個々の作品に現れる食べ物も多彩である。ドストエフスキーの『罪と罰』では、高利貸しの老婆の殺害後、興奮と衰弱の淵にあったラスコーリニコフは、ジャガイモと米のスープにより「肉体の栄養」を、ソーニャの無償の愛により「精神の滋養」を得る。後者の役割の大きさが注目されがちであるが、それぞれは車の両輪のような存在だった。
 自身の経験をもとに、収容所での生活を克明に綴ったソルジェニーツィンの『イワン·デニーソヴィチの一日』では、およそ考え得る最低最悪の粗食が描かれるが、そうした生活の中にあっても喜びを見出す主人公のイワンの、人間の逞しさが浮き彫りになる。

 本書で印象的だったのは、ただの湯沸かし器ではなく、家庭の団欒と平安を現すサモワールの存在だ。生を肯定する幸福の象徴であり、不幸が訪れた際は日常の世界に連れ戻し和らげてくれるサモワール。貧富の差が大きかったロシアで、豪華絢爛な食卓とは無縁の多くの人びとにも広く愛されてきたサモワールと喫茶は、豊饒なロシア文化を象徴している気がした。

『食堂には真っ赤な夕日があふれかえっている。ヴェーラが忙しそうにお茶の支度をしている。サモワールは何か喜んでいるみたいにシューシュー面白おかしく音を立てている。ビスケットはさくっと割れ、スプーンは茶碗にあたって大きな音を立てている。』(トゥルゲーネフ『猟人日記』)
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