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2022年01月16日21:28

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本棚455『魔が差したパン O·ヘンリー傑作選掘O・ヘンリー(新潮文庫)

 O・ヘンリーといえば、どんでん返しや意外な結末が有名だが、物語のプロットだけでなく、巧みな比喩や表現という細部にも魅力が詰まっている。時に大仰さや皮肉、ユーモアも交えつつ、アメリカの百年前以上前の都会の賑わいや喧騒、西部の町の乾いた空気や荒々しさを生き生きと描き出す。

 特に、田舎から都会に出て来て富と名声を得た主人公が、妻となった美しい良家の令嬢を連れて実家の農場を訪れる『都会の敗北』の、魅惑的で生気に満ちた桃源郷のような故郷の情景が素晴らしかった。どちらかというとストーリーはシンプルで、結末も予想されるのだけれど、結末に繋がる田舎の魅力を描く文章力に惹き込まれた。

 「街道から家までは長い小道が続いて、クルミの木がずらりと隊列を組んでいる。野バラの匂いがした。しっとり涼しげな河床の柳の息遣いまでわかるようだ。そして一斉に唱和してロバート・ウォームズリーの魂に歌いかける大地の声があった。薄暗い山道を抜けて響き、乾いた草から鳴いて、川の浅瀬にせせらいで、日暮れの草地に牧羊神の笛のように吹き渡り、高く飛ぶ虫を追うヨタカの声も重なって、のんびりした伴奏をつけるのは牛の首に下がる鈴ーというような音のすべてが、「やっと帰ってきたんだね」と言っていた。」(『都会の敗北』)

 O・ヘンリーの作品では、本書には載っていない『千ドル』が一番好きだけれど、本書の『荒野の王子さま』や『紫のドレス』のように、同じく「粋だねえ」とつい言いたくなるハッピーエンドの人情噺もよかった。他方で、苦味を帯びた哀しみを描く作品もある。『第三の材料』で、奇跡と幸福に巡り会えた隣人と対照的にひとりタマネギを洗うヘティの悲しみ、『魔が差したパン』で、よかれと思ってしたことで恋が潰えたパン屋のマーサの悲しみ。マーサが自身の淡い恋心の象徴のような青い水玉の絹のブラウスを脱いで、昔からの茶色のサージの服に着替える様は、色鮮やかな「紫のドレス」とはまさに対極をなしている。

 恋敵を陥れようとする邪な心が逆の結果を生む『アイキーの惚れ薬』といった自業自得の話もあるが、心優しい善女のマーサが運命のいたずらで失意の淵に立たされるように、善き者、正しい者が必ずしも幸せになるわけではない。司馬遷は、悪ながら栄えた人物も、善にして非業の人物も無数にいるこの世を「天道、是か非か」と嘆いたが、様々な流転を経験したO·ヘンリーはもっと軽やかに、「人生はそんなものだよ、だから気にしないで。」と読者に語りかけているような気がした。

 「ぽつんと雨が落ちたが、笑った顔には何も感じなかった。 いや、馬車で買い物にお出ましのご婦人方には、まずわからないことだろう。いくらでも服を買ってもらえるお嬢さま方も、到底おわかりにはなりますまい。感謝祭の日の冷たい雨粒を、なぜメイダは感じなかったのか。···うれしそうな目をして紫のドレスを着た女が、こんな大雨だというのに、まるで夏空の下の庭園を散策するように悠然と歩いている。」(『紫のドレス』)
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