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2022年01月03日22:11

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本棚451『文学の街 名作の舞台を歩く』前田愛(小学館ライブラリー)

 同じく「街」に焦点を当てつつも、著者の代表作『都市空間のなかの文学』が理論を重視する一方、本書は実際に小説の舞台を訪れ実践に重きを置く。文学作品の中にのみ生きる「幻影の街」を歩き、作品の中に描かれた都市を復原しようと試みる。樋口一葉の『たけくらべ』の吉原·竜泉寺町や川端康成の『浅草紅団』の浅草など東京の地を中心としつつ、泉鏡花の金沢や堀辰雄の軽井沢、織田作之助の大阪など日本各地も射程に含まれる。時代も明治から昭和まで幅広く、新しいものでは田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の原宿·青山の街まで現れる。

 面白かったのは漱石『三四郎』の本郷の街。進学で熊本から上京した三四郎が遊歩者となって、日露戦争後の東京市中を歩き回る。「優美な露悪家」と評される美禰子から三四郎への「迷羊(ストレイシープ)」という呼びかけに、都市を探索する散歩者という意味も読み取ろうとする見方が新鮮だった。
 「地図小説」とも呼ばれる鴎外の『雁』については、不忍池界隈の精密な土地を舞台に、お玉の悲しい恋を描いた物語としてだけでなく、下町的な世界の中に押し入ってきた〈近代〉という、東京の街の二つの位相の切り口から読み解く。
 自身の心を自然に託して描いたとされる、国木田独歩の『武蔵野』。独歩の悲恋が、あの武蔵野の静謐で透明感のある描写の背後にあったことを知ると、「風景」と「内面」との深い結びつきをより感じとることができた。

 著者の文章は、理知的に街と作品との繋がりを説く部分もあれば、時に流麗な美しい調べを帯びている。

「さながらチェコスロバキア公使館の別荘からたゆたいがちに聞こえてきたバッハのト短調遁走曲のように、雨のあがった或る朝、サナトリウムの生墻に咲く野薔薇は、私に十年前の少女たちとの邂逅を、とりわけ或る女友達との想い出を呼び醒ます。自然や人間のうえに時間がもたらしたさまざまな変化に私は深い感慨に耽る。」(堀辰雄『美しい村』ー軽井沢)
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