「···人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。 若い日に思い描いたコルシア·デイ·セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」
透き通った静謐な文章、エピソードの連なりから人物が浮かび上がってくる描写、失われたものへの追想と愛惜ー。小説を書かなかった文学者でこんなに人気がある人はいない、と池澤夏樹は指摘するが、冒頭の『コルシア書店の仲間たち』の言葉のように、須賀敦子の随筆には、小説以上に心を揺さぶるものがある。
須賀敦子の没後20年を記念して昨年出版された本書には、彼女に縁のある多くの人びとが寄稿している。少女の頃に夢中になって読んだ本、長いイタリアでの生活の中で知ったイタリア文学、翻訳を通じてイタリアの人びとに伝えた日本の名作。これらの無数の本との出逢いが、60歳を過ぎてから本を書くようになった須賀敦子の内で、時機を待って熟成されていたように思えてくる。
また、大学で教鞭をとっていたので、当時の教え子による文章も寄せられており、等身大の須賀敦子が窺える。須賀の家に行くと、プルーストの『失われた時を求めて』の側に『じゃりン子チエ』の漫画が置いてあり、大阪弁が懐かしくて読んでいるのと話す様子にクスッとしたり、学生から借りた手塚治虫の『火の鳥』で「未来編」が一番良かったと話す姿に切なくなった。愛する者を失った後も永遠に生きていかなければならない「未来編」の主人公と、イタリア人の夫ペッピーノを41歳の若さで失った須賀の姿が重なって見えた。
そうした避けられない喪失や哀しみから目を背けずに受け止め、それらをそっと抱きしめながら、人生を歩んでいく姿は恩寵のような眩さをはらんでいる。詩人の井坂洋子は、エッセイスト、翻訳家、大学教授など多くの顔を持つ須賀の詩を「末娘」と呼び、以下のように書いている。
「自分は回復することが可能だろうかと疑っている老いた者も、生きる方向を探しあぐねている若い人も、慈悲の心そのもののような末娘の白い手が背中を撫でてくれているのを感じるだろうと思う。」
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