たった五行ほどの短い解説文が、広大な詩歌の世界に誘ってくれる。大好きな栗木京子さんの短歌、「観覧車回れよ回れ想ひ出は 君には一日我には一生」「死真似をして返事せぬ雪の午後 生真似をするわれかもしれず」などに出逢ったのも、『折々のうた』だった。
30年近く新聞に連載された、大岡信の『折々のうた』。この度、岩波新書全19冊の中から、アンソロジーとして「俳句」、「短歌」、「詩と歌謡」に再編集されることになり、本書はその第一弾。
この本では、松尾芭蕉や与謝蕪村といった「古典主義俳句」、王朝·中世の古典文化の復興を図る江戸時代前半の句を中心に編まれている。
固く古めかしい句が多いのかなと思っていたが杞憂であり、自然や四季の移り変わりに対する感興、日々の生活の中でのふとした発見や心の揺れなど、今と変わらぬ人びとの生き生きとした思いが感じられる。
限られた字数の解説の中で、俳人の紹介をしつつ、その句の背景や意味、魅力も語る。凝縮された密度の高い言葉によって、句の鑑賞のための適切な補助線をさりげなく引いてみせる様は、至芸の技と言える。一見淡白な印象の句も、解説文と相まって、深い情趣に包まれる。
「盆踊りの情景である。宵の口は大勢いた踊り手が、夜も更けるにつれ一人二人と抜けてゆき、今は四、五人のみ。西へ傾いた月の光がその上にしっとり落ちて。」(四五人に月落ちかゝるおどり哉 蕪村)
「いま春のおぼろにかすんだ月が野を照らしている。そぞろ歩きの人の眼の前に、春の蝶が、あたかも古人の幽鬼の舞い出たかのように、ふうわり現れて、舞う。」(大原や蝶の出て舞ふ朧月 内藤丈草)
「蝉が鳴きしきっていても、その声のかまびすしさがきわまる所には浄寂境そのものが出現するという宇宙観。」(閑かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉)
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