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2019年12月15日16:37

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もっと、いい世の中であるように ( 映画『家族を想うとき』)

3年前の『わたしは、ダニエル・ブレイク』で、監督引退を宣言したはずの英国映画の巨匠ケン・ローチ、よもやの新作。

観終わって、ああ、そうかこの人はまだまだ「言い足りない」「描かずにはいられない」切実な思いがまだあったんだな、と考えさせられ通しだった。

舞台はニューカッスル。この街で暮らすターナー一家の父、リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために宅配ドライバーの仕事に就く。
しかしそれは、かつての運送会社ではなく、フランチャイズ制でドライバーが独立した事業者として請負い、軒数をこなせば身入りはいいが、そのぶん長時間に及ぶうえに何の保障も得られず全てが自己責任という過酷な職務だった。
いっぽう妻のアビーは介護福祉士の仕事をしているが、彼女も時間外まで働かされている。
ふたりには高校生の息子と小学生の娘がいる。息子は「難しい年頃」だけに問題ばかり起こしてリッキーもアビーも手を焼いてばかりだ。
仕事と家庭に追われて疲れ切るふたり。4人に明るい未来が訪れる時は来るのだろうか?

リッキーが就く「フランチャイズ制ドライバー」というのは、以前に僕が日記で批判した自転車の宅配食事サービス「Uber eats」と同じで、会社側の負担を減らす、有り体に言えばとても巧妙で汚い搾取のシステムだ。
ただウーバーの場合は、ほとんどが片手間で出来るアルバイトだからいい。リッキーはこれで家族を養わなくてはいけない。手に職を持ってない彼は、とにかく懸命に身体を擦り減らすように働かざるを得ない。
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いっぽうアビーは「自分の母親に接するように」誠実に介護の仕事に励んでいる。それでも何人も担当していて、不意に呼び出されるのはしょっちゅうだ。宅配業とは違い、直接人を扶けることが彼女にモチベーションにはなっているのだけど、ここでも過酷な労働環境の問題が横たわる(パンフの解説によれば、政府→業者という、これまた搾取と癒着構造があるそうだ)
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カメラはひたすら家族の姿を追う。父と息子の衝突はしょっちゅうだけど、妻と娘が間に入ってくれる。時には4人で、束の間ではあっても和やかな時間を過ごす時もある。いい家族だな、家族っていいもんだな、と思う。ローチ監督の厳しさと優しさが表裏の眼差しは変わらない。
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僕の友人知人に何人も居るのですが、ターナー家のように親が苦労している姿を見て育つ子の方が成長するし、家族の結束も強かったりする(「グレてる場合じゃなかったから・・・」なんてこともよく聞いた。笑)
むしろ中途半端に余裕のある家族が壊れる場合が多々あるのではないかと思うのだけど。

しかし、ローチ監督のそれまでの映画と同じく、物語は決して問題を安易に解決しようとはしない。
「働き者が憂き目を見る。こんな世の中にしたのはどうして?」というのを訴える、あまりに痛々しいラストシーンに打ちのめされる思いでした。
そしてこれは英国だけの問題ではない。ということも。

フォト【予告編】https://youtu.be/8mkIMB9INwg

〈 シネリーブル梅田で公開中〉

『わたしは、ダニエル・ブレイク』
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959524440&owner_id=26940262




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