観るたびにインド映画、侮れないなと思うばかり。
どうしても、尺が長くて歌って踊って痛快活劇な「ボリウッド」のイメージが未だに強いかもしれませんが、それとは真逆の、物語が静かに放つ情感、デリカシーのあるメッセージが気持ちに染み込む作品もまた多い。
2011年の『スタンリーのお弁当』、13年の『めぐり逢わせのお弁当』、14年の『裁き』、去年の『ガンジスに還る』・・・おそらく他にも、自分がノーチェックの良作は多いと思う。
この映画もそんな1本。
〈 あらすじ 〉
若くして未亡人であるラトナ。農村出身の彼女はファッションデザイナーとして自立するのがひそかな夢。
実家に居ては、ヒンドゥーの習慣から再婚すら出来ない(一生亡夫の喪に服さねばならない)。しかしムンバイに行けばチャンスはあると思ったのか、彼女は建設会社の御曹司アシュヴィンの新婚家庭でメイドの仕事を得る。
しかし、婚約者の浮気が発覚して直前で破談となってしまい、広い高級マンションに1人で暮らすことになった傷心のアシュヴィンを気遣いながら、ラトナは彼の身の回りの世話をすることに。
ラトナはある日アシュヴィンに、服の勉強をする為に時間を割いてもらうようにお願いをする。アシュヴィンは今まで単なるメイドとして接していなかった彼女を見直すようになり、ふたりの距離が徐々に近くなってくるが・・・
心の機微を柔らかく描き出した演出は、派手派手しいイメージのインド映画とは対極と言っていいかもしれません。ただし挿入歌が幾度か流れはするけど、それが明るい風を吹き込むようで、これはこれで悪くない。
ラトナに惹かれるアシュヴィン。しかしふたりの間に立ちはだかる大きな壁がある。
アシュヴィンは雇い主の立場だからいい。困惑するのはラトナの方。彼女にはメイドとしての「身の程」をわきまえなくてはいけない。原題の『Sir』はまさにそれを象徴するのだけど、壁はその向こうに幾重にも立ちはだかる。田舎の出であるラトナ、実業家の御曹司であるアシュヴィン、その格差。そしてインド社会の宿痾である「カースト制」も薄っすらと伺えてくる。しかし映画は「カースト」「階層」のカの字も出てこない。そこが逆に、彼の国の極めてデリケートな問題が見えてくるような。
それは、中途半端でしかインドを知らない自分の深読みなのか、女性監督ロヘナ・ゲラさんによる秘められたメッセージなのか。彼女は出身がインドでも国外での活動が長く、そのあたりの距離感、眼差しも独特。
アシュヴィンが最後にとった決断が、やっぱりこの国は今でも窮屈だ。という批判とも取れる。ふたりの行く末を案じさせる余韻も併せて、押し付けがましく訴えずに上質のロマンスとして結実させた秀作です。
【予告編】
https://youtu.be/RVtt_x5BRHM
〈 テアトル梅田で公開中 〉
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