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2020年08月07日18:15

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「戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道(筒井清忠 著)」(読了)

ポピュリズムという言葉が広く認知されている今、ほかでもない戦前日本において対米戦争へと突き進んでいったものこそポピュリズムなのに、それをポピュリズムの問題としてまったくと言っていいほど取り扱われていない。著者は、そのことに違和感を持っていたという。

「戦争への道」への反省ということがしきりに言われるのだから、誰かが書くだろうと思っていたが、とうとう一向に現れない。戦前昭和史の専門家であることを自負する著者が、自分が書くしかないと満を持して著したのが本書だという。

実際、あの自滅的な戦争については、これまでは「東京裁判史観」というものにとらわれてきた。それは、戦争の原因と責任は、戦前の天皇制とそれを主導した国家主義的な政治家と軍部の専横的な侵略主義にあったというもの。

一方で、太平洋戦争は強いられた戦争である、挑発や陰謀によって仕向けられた戦争だった、自国防衛のためには戦うしかなかった、という《他律的》な考え方、感情論も根強い。実は、これは東京裁判で裁かれた東条英機など被告たちの弁明の論理そのもの。「東京裁判史観」というものの裏と表に過ぎない。

これに対して、あの戦争は日本の誤った選択の結果だと明言する。

なぜ日本は選択を誤ったのか。その根本をポピュリズムに求め、その勃興から最終局面に至る過程を、著者は各種の証言や新聞資料に基づいて綿密かつ雄弁にたどっていく。

特に、戦前の新聞やそれに拠った言論人たちには厳しい批判の目を向けている。戦前のポピュリズム発祥ともいうべきポーツマス講和会議をめぐる日比谷焼き討ち事件で、集会を組織し集団のはけ口を準備して「大衆」の登場を促したのは新聞人だった。帝人疑獄では、事実無根のままに世論を煽り政党政治腐敗というイメージを植え付け議会政治を崩壊させた。5・15事件以来、軍人の誠心と不偏不党、天皇親政というイメージを定着させ軍部や革新官僚などによる国家主義的専横を正当化することになる。マスコミは軍部と口裏を合わせ、ついには日中戦争に至っては軍部を先回りして戦線拡大を陰から主導することになる。ここで軍内の慎重・良識派は壊滅するに至る。こうした過程で、新聞の発行部数は一貫して増大している。

戦前のみならず今でも、社会経済を語るときに「国民」という言葉が多用される。しかし、「国民」とは決して無辜の民のことではない。多くの国民は内心では戦争を望まなかったが、侵略主義的な軍部や右翼団体に引きずられた…という、戦後の「弁明」はまったくの虚偽と言ってもよい。戦争は国民自身が犯した過ちだったのだ。

著者は、歴史学というものが史料に基づいた叙述ということは基本だとしても、それだけではポピュリズムという不可解な社会現象を批判的に扱うことは難しいという。歴史学からさらに広がりをもった人文社会の諸科学の視点が必要だという。

今、戦前史から学ぶことは、日本のマスメディアの知的向上であり、正確な事実、統計や公的記録など資料報道の重視だと著者はいう。それらに依拠する良質でオープンな議論こそが、多元的で健全な民主主義政治を担保するのだという。マスメディアへの一方的な批判・攻撃だけではなく、よいマスメディアを育てていくのも国民がなさねばならぬことだという。

いずれも、まったくその通りだと思う。


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戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道
筒井清忠 著
中公新書
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