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2020年07月04日13:22

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ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録 読了

ロベルトさんが日記で紹介されていた本。さっそく読んでみました。

ミルスタインは、オデッサ生まれのユダヤ系ヴァイオリニスト。幼少の頃から才能を発揮し、ペテルブルク音楽院に学び幾多の名ヴァイオリニストを育てたアウアーに師事。同じウクライナ出身のホロヴィッツと意気投合、ロシア国内から西欧にも進出して活躍し、そのままソ連には帰還することがありませんでした。

ナタン・ミルスタインは、どちらかといえば地味で通好みのヴァイオリニストということになるかもしれません。ハイフェッツという卓越した人気を誇ったヴィルティオーゾの陰に隠れていたからです。大変な技巧を持ちながらもそれをことさらに誇示することを控え、アメリカ的な大衆迎合よりもヨーロッパ的な知的なライフスタイルを好んだということもあったのかもしれません。

その自由な回想をソロモン・ヴォルコフが聞き書きしてまとめた回想録。自伝というよりは交遊録というのに近い。おおよそ時系列に従って章立てされていますが、話題はあちらこちらに逸脱し、まとまりがないままに進む。それだけに絢爛豪華な顔ぶれと生々しいエピソードの数々、機知にあふれた寸評が実に面白く示唆に富んでいて、息を継ぐのも忘れるほど。

読み終えてつくづくと思うのは、二十世紀前半の西欧芸術、なかんずく音楽芸術というのはロシアの時代だったということ。欧州大戦とロシア革命によってロシアのエキゾチックで豊かな才能が、奔流のようにベルリンやパリ、ロンドンといった西ヨーロッパに流出し、それが次の大戦でごっそりとアメリカに移転していく。もちろんその圧力となったのは、ナチズムの興亡とソ連邦の体制にあったことは言うまでもありません。その失郷の芸術家たちの個性と生き様のようなものにあふれているのです。

ミルスタインは、亡命者ですが、そのロシアへの愛国ぶりは顕著で、ピロシキやチキンキエフなどロシア料理への愛着も微笑ましいほど。革命の混乱時の思い出は、少なからず牧歌的でさえあります。家族も革命でさして害を被ったわけでもなく、自身の外遊生活もソヴィエト政府公認の派遣演奏家として何不自由なく過ごしていたからです。

西欧への脱出は、スターリン体制の締め付けが強まってからのことでした。素直に帰国しては芸術家としての自由と将来はないと踏んで、ホロヴィッツと示し合わせての脱出でした。ちょうどそれと逆行したプロコフィエフは、ソ連への帰還後はその輝かしい才気が失われたとしきりに惜しんでいます。

確かにソヴィエト嫌いであることは間違いないのですが、決して、憎悪のようなものではないようです。少なからず著者のソロモン・ヴォルコフの拡張解釈なのか、あるいはミルスタインの彼へのリップサービスもあるかもしれないとも感じます。なにしろヴォルコフは、あの『ショスタコーヴィチの証言』の著者でもあるのですから。

そういうミルスタインとオイストラフとの交友のエピソードから浮かび上がってくるのは、何ともいえない体制順応の切なさです。ミルスタインのソヴィエト嫌悪は決して攻撃的なものではなく、そこで生活する音楽家たちへの同情と感受性に満ちた愛惜の念だとも言えます。そして何よりもオイストラフの才能を認めている。そこからオイストラフの優しくひたむきで誠実な人格もにじみ出てきます。私は、ますますオイストラフが好きになりました。

感動的なのは、最終章のジョージ・バランシンの回想。バランシンは、ロシア時代の教え子と最初の結婚をしているのですが、その後、離婚と結婚を繰り返していて相手はすべてバレリーナばかり。とかく誤解を受けがちだけど、バレリーナというのはそういう風に肉体と精神、芸術と生活が一体となった激しい思い入れのようなところがあります。バランシンのバレエへのひたむきな献身は、そういう心身合一で貫かれていて誠心誠意そのもの。それを受け入れ、支え励まし続けたミルスタインに気持ちが熱くさせられました。

ちょっと疑問が残ったのがバッハのこと。

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ミルスタインと言えば、バッハの無伴奏ヴァイオリン。

オデッサ時代のごく若い頃から、シャコンヌなどを演奏していたという。アンコールでこれを演奏して会場を白けさせるという大失敗をしたり、周囲からはバッハだけはやめておけと再三アドバイスされたのだとか。ソ連の演奏家は、技巧の誇示や腕力ばかりで、バッハにも無知だったと切り捨てています。ところが後々になっての私たちから見れば、ロシアの音楽家たち(特にピアニスト)にはバッハ演奏の伝統が脈々と流れています。そこが不思議でならないのです。

実際のところ、若かったミルスタインは、バッハをどこでどう習い覚えたのか。そのことだってちっともわからない。ミルスタインの口ぶりと、例えばロシアピアニズムの系譜におけるバッハ演奏の存在感とはずいぶんとギャップがあって、それがちょっとした謎として残りました。


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ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録
ナタン・ミルスタイン&ソロモン・ヴォルコフ
青村茂&上田京 訳
春秋社
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年07月04日 14:36
    日記拝読しました。「ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録」は昨年音楽ファンの友人から勧められて読んでみたものです。20世紀の音楽の歴史をたどるエピソード満載で、とっても面白かったので、小生の日記に書いてみました。私にとっては、35年前にニューヨークで聴いたミルスタインのリサイタルを思い出しながら、読んでいました。

    ヴォルコフは「ショスタコーヴィッチの証言」の著者でしたね。あの本は当時大きな議論を呼びましたが、その後、偽書だといわれてます。久しぶりに読んでみようと思っています。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年07月04日 16:10
    > ロベルトさん

    この本をご紹介いただきましてありがとうございました。

    この本はちょっとしたショートエピソードや寸評が満載でたまらなく面白いですね。噛みつき虫、カネの亡者のストラヴィンスキー、下手くそなのに指揮するのが好きで人気もあったグラズノフ、過剰定員のアウアーのクラスの学級崩壊ぶり、トスカニーニとフルトヴェングラーの互いのけなし合い、ロストロポーヴィチへの辛口評とか…書き切れないのであきらめました。

    バッハがらみでひとつだけ追加しますと…

    ゲヴァントハウス管でチャイコフスキーの協奏曲を演奏した後のアンコールにバッハの無伴奏ソナタ第1番を全曲弾いたこと。アンコールの即興で全曲を弾くなんてちょっとあり得ない。アダージョを弾いたら止まらなくなったというわけです。バッハを弾けとそそのかしたのは指揮をしていたワルターで、ソリストに人気を持って行かれないようにバッハで聴衆の熱を冷まさせようとしたからだなんてミルステインは皮肉っていますが、結果はかつてない大成功。場所がバッハゆかりのライプツィヒということも自慢なのでしょう。しかもそれがミュンシュとの最初の出会いでした。ミュンシュはその時のコンマスだったから。その思い出話しをミュンシュがしたニューヨークのレストランでの昼食に同席していたのがミトロプーロスとセルだというのも豪華です。

    かしこに顔を出すミルスタインのバッハへの思い入れのなかでも、一番豪華なエピソードだと思いました。

mixiユーザー

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