実に楽しかった。
何よりも歌手陣が素晴らしい。
これでもかというほどの適役で、なおかつ、声よし、姿よし、演技よしの今が匂うばかりの花盛りの歌手ばかり。まるで、イタリアにワープしたかと思うほどの選りすぐりの歌手たちが眼前で勢揃い。いや、これほどの歌手をそろえるのは本場でも難しいのではないか。とにかく、日本にいながらにしてこれほどのイタリア気分を味わえる舞台は希有のことだと思う。
話しは他愛のないもの。資産家のドン・パスクワーレは、甥のエルネストが自分の薦める縁談を断ったことに腹をたて、遺産相続の約束を撤回して自分が若い嫁をとると言い出します。エルネストは、失意のあまり、恋人のノリーナにあてにしていた叔父の遺産がもらえなくなったからと結婚できないと打ち明けます。そこで親友のマラテスタが、ドン・パスクワーレを懲らしめてやろうと、そのノリーナを自分の妹に仕立て上げて紹介し、ノリーナはここぞとばかりにわがままな振る舞いを演じてドン・パスクワーレを振り回します。最後には、策謀が明かされてドン・パスクワーレは改心し、恋人二人の結婚が許されてめでたしめでたし…ということで幕。
恋人同士の誤解やすれ違い、花嫁が豹変しての遊興乱費のドタバタ、その挙げ句のハッピーエンドという、典型的なオペラ・ブッファ。ドニゼッティのオペラ・ブッファの傑作とも評されるようです。それは、モーツァルトやロッシーニの書法や様式が散りばめられているようなところがあるのですが、そこには偉大な先達へのドニゼッティの敬意が込められていて、単なる模倣や剽窃ではなくて偉大な伝統を回帰させつつ、三歩下がって師の影を踏まずというようなところがあって、なかなか楽しませてくれるオペラであることは確かです。
タイトルロールのロベルト・スカンディウッツィは、きってのヴェルディ・バス。話しでは悪役で、強欲で自覚の無い老人だが、そこに少しも卑しさがないのはスカンディウッツィの、終始、余裕たっぷりの歌唱と演技が醸し出す品格と貫禄。
マラテスタのビアジオ・ピッツーティは、よく通る声のバリトンで、しかも、身のこなしが柔軟で軽快、劇全体を明快に切り回していく狂言回しには適役で、このオペラの面白みを盛り上げて、少しも停滞させません。
エルネストのマキシム・ミロノフは、イタリア人以上にイタリアオペラが得意とするロシア人だそうです。最初のほうこそ、おや?と思わせる軽い声で声量も不足気味だと感じさせたのですが、しなやかな美声をよくコントロールしていてドニゼッティの旋律の伸びやかさを上手く歌って、このいささか単純でお坊ちゃん気質の甥っ子を演じて魅力たっぷりでした。
ノリーナのハスミック・トロシャンは、名前からするとアルメニア系のようですが、声よし姿よしで、これまた、思わずため息が出るほどの適役。実は代役なのですが、そんなことは知らぬが仏のこちらにしてみれば、歌唱のテクニックやフレージングの柔軟性も見事で、よくぞこんなソプラノを見つけてきたと感嘆するばかり。敬虔でウブな乙女が突如豹変するあたりの演技にはちょっと老練さこそ不足しましたが、明るく芯の強いノリーナを満開の華のように演じ切りました。
新国立らしい工夫がいっぱいの舞台も魅力。シンプルですが、適度な具象性があって、場面転換にも、素晴らしい発想の大胆さがあり、しかも、そういう意匠のリアリティには決して手を抜かない。上演は、三幕を前半後半の二つに分け、途中に演奏が休止する場面転換がいくつもあるのですが、それは、まるで「飛び出す絵本」のようで、畳み構造になっていた舞台が新たに展開して、思わぬ立体意匠がはじけるようにポップアップする様は、見ていて実に楽しい。
指揮者のコッラード・ロヴァーリスも、よくドニゼッティの魅力を心得た指揮振りで、東フィルからイタリアオペラの軽さと色彩豊かな旋律美を引き出していました。演奏技術としては、イタリアのローカル劇場の専属なんかより明らかに上だと感得させるに十分な演奏でした。
これだけ本場イタリア気分を満喫させてくれる機会は滅多にないと思います。
新国立劇場
ガエターノ・ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」
2019年11月9日 14:00
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階11列30番)
出演
ドン・パスクワーレ:ロベルト・スカンディウッツィ
マラテスタ:ビアジオ・ピッツーティ
エルネスト:マキシム・ミロノフ
ノリーナ:ハスミック・トロシャン
公証人:千葉裕一
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
指揮:コッラード・ロヴァーリス
演出:ステファノ・ヴィツィオーリ
美術:スザンナ・ロッシ・ヨスト
衣裳:ロベルタ・グイディ・ディ・バーニョ
照明:フランコ・マッリ
演出助手:ロレンツォ・ネンチーニ
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