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2019年10月18日18:36

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戦場のピアニスト(ウワディスワフ シュピルマン 著・佐藤 泰一 訳)読了

いわずと知れたロマン・ポランスキー監督・映画「戦場のピアニスト」の原作である。映画は、2002年に公開され、その年のアカデミー賞3部門を総なめにし、主演のエイドリアン・ブロディは主演男優賞を史上最年少で受賞している。ポランスキーは、自身が墓まで持っていきたい作品としてこの映画をあげている。文字通り《名画》と言ってよいだろう。

映画を見たので、いまさら…という向きには、本書を手にしたら後ろから読まれることをおすすめしたい。そうすると、映画を見たときとは、また違った様相が見えてくる。

最後尾にある「訳者あとがき」を読むと、本書刊行のいきさつがうかがわれる。

著者は、著者は、旭川出身、東大工学部応用物理学科を卒業し新日鉄(現・日本製鉄)の技術研究者として高強度鋼板の開発などにあたりながら、そのかたわらピアノ音楽への愛好が昂じて音楽評論家として二足のわらじを履いたという変わり種。その著には、複雑で広大なロシアピアニズムの系譜を膨大な資料から調べ上げて解き明かした「ロシアピアニズム」がある。
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原著である英訳版("THE PIANIST")が刊行されて、これをいち早く読んだロンドン在住のピアニスト、岡田博美から連絡があってこの訳書が刊行される運びとなったのは、1999年のこと。本書の題名も当初は『ザ・ピアニスト』だった。現在の題名に改題されたのは2003年の映画の日本公開に合わせてのことだった。

原書は、第二次世界大戦直後の1945年に書かれている。刊行されるとすぐに、発禁に近いかたちでたちまち絶版処分を余儀なくされ、その後の再刊の試みもあったがことごとく妨害の憂き目にあって実現しなかった。その理由は、当時のスターリン専制下における東ヨーロッパ諸国の複雑な事情があったとされる。

その再刊が実現したのは、ベルリンの壁崩壊後、ポーランドの共産政権が崩壊してからもすでに10年が過ぎていた。現著者シュピルマンは、自分の息子にさえ戦時中の体験を決して語ろうとはせず、自分の家族についてひと言たりとも話そうとしなかったという。そういう父親をようやく説得して、独訳版、英訳版の刊行にこぎつけたのは、その息子、アンジェイ・シュピルマンだった。

そのアンジェイが父親をようやく説得するきっかけになったのが、シュピルマンを救った命の恩人であるドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトの書簡日記の存在である。

そのいきさつについて、シュピルマンの友人である詩人のヴォルフ・ピールマンが、やはり本書の末尾に「エピローグ」として紹介している。そこには、戦後のシュピルマンの行跡と戦中の体験を語ろうとしなかった心情を吐露した言葉が赤裸々に語られている。

そこからは、ホーゼンフェルト大尉の日記を併載することで、ようやく原著者である父親の再刊の決意を引き出したのだと察せられる。付け加えられた原著者本人の短い「追記」に続いて、「ヴィルム・ホーゼンレルト大尉の日記からの抜粋」がある。これを読むと戦慄が走る。そしてじわじわと感動が染み渡ってくる。

歴史を同時代に体験し同時代の真実が示すままに観察しその記憶も生々しいままに記述したものの重みのようなものが襲ってくる。それは映画の感動とは、また、まったく違った様相のものだ。そこにこそ、本書を後ろから読む意義がある。

なお、本書には音楽そのものについての記述は極めて少ない。訳者によれば、書中に登場する数少ない具体的な作品であるショパンの「ノクターン嬰ハ短調」が、映画で有名になった遺作「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」なのか、第7番作品27−1のほうなのか、それは定かではないと記している。


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戦場のピアニスト
ウワディスワフ シュピルマン
佐藤 泰一 (訳)
春秋社






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