ブッフビンダーの良さとはどう言ったらいいのだろう。そしてそのベートーヴェンの楽しみとは…?
ブッフビンダーを聴くのは二度目。前回は、ミュンヘンのヘルクレスザールでのバイエルン放送響とのブラームスでした。それは、ひと言で言えばブラームスの誠実な人柄そのままの音楽。そして聴衆からとても愛されているということをひしひしと感じさせる、息の長い暖かい拍手が印象的でした。ブッフビンダー大好きと公言してはばからない家人の言によると、地元ウィーンでの聴衆の熱狂ぶりは、実際、大変なものらしいのです。
そのブッフビンダーのベートーヴェンは、やはり、誠実で愛と喜びに満ちたベートーヴェン。
しかめつらしく、厳めしい、いかにも世界中の悲劇を背負っているとでも言わんばかりの音楽でもなく、比類無い英雄的な人道主義者という大げさなものでもない。普通に生活している市井の人のさりげない人生のなかに込められた情感そのものをとても濃やかに映し出す。そういうベートーヴェンなのだと思います。そのことはミュンヘンで聴いたブラームスと同じ。
「悲愴」のあのハ短調の主和音も、ことさらに悲壮感を出すというのではなくて、何かを切実に求めているかのような和音。足らざるをひたすら満たそうとする希求のソナタ。そのことが物憂いアダージオで一炊の夢を見る。とても息の長いレガートが美しく、それを細かく刻む左指の細動が心地よい。そして一転してロンドでは劇的な疾走が始まります。希求することの決着をつけるかのように。
「ワルトシュタイン」が、秀逸でした。
ベートーヴェンのピアノ技法は、ここで一気に機能を拡大してスケールが大きくなります。ブッフビンダーのピアノも、高速の和音連打や左手の低域の重量感などパワーが全開となるのですが、技巧を押し出してくるという押しつけがましさがないのです。そういう低音の重量感は続くアダージオでも持続して、情感の深みがあります。
私たちの席は、2階右バルコニーの前列。ほぼステージ前縁の真横になっていてブッフビンダーの顔が、ピアノの大きな屋根板に見え隠れしながらも、その表情がとても間近に感じられます。そういう位置取りのせいか、あるいは、ピアノのコンディションなのか、少し低音が混濁気味なのですが、執拗で疾駆疾走がやまない音楽に没入していくとそういうことも少しも気にならなくなってどんどんと引き込まれていきます。
次から次へと技術的難所を跳び越えていくピアノはほとんど暴走的熱狂でついには最後には最速のギアに入れてしまう。それでも、その堂々とした風格と誠実さが保たれているのがまさにブッフビンダーのベートーヴェンだと思うのです。
休憩後の後半は「熱情」。
こういう曲の開始を、もったいぶらずさりげなく始めてしまうのがブッフビンダーの音楽のようです。会場の気持ちもまだ収まっていない雰囲気での開始は、ちょっと肩すかしを食らったような物足りなさを感じてしまうのですが、ここでも情熱の高まりをずっと長大なまでに引き延ばされた劇的な音楽にしています。荒れ狂うような展開にしばしば現れる「運命動機」にはっと目が醒めて、そこで最初の開始が記憶としてよみがえってくる…。そういう激情の起伏に本当に翻弄されました。
アンコールで弾かれたのは「テンペスト」の第3楽章。まさに愛のベートーヴェンでした。
ルドルフ・ブッフビンダー ピアノ・リサイタル
2019年9月23日(月・祝) 19:00
東京・初台 東京オペラシティ コンサートホール
(2階 R1列12番)
オール・ベートーヴェン・プログラム
ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 「悲愴」 作品13
ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 「ワルトシュタイン」 作品53
ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 「熱情」 作品57
(アンコール)
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 「テンペスト」 作品31−2より 第3楽章
J.S.バッハ:パルティータ第1番BWV825より“ジーグ”
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