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2019年09月09日21:14

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空間力 (デア・リング東京オーケストラ 録音セッション編)

デア・リング東京オーケストラ(DRT)公演のお話し(「オーケストラの革命」)の続きです。

公演の翌日は、同じオペラシティの会場で録音が行われました。その後半、午後のセッションは一部の人々に公開で行われたのです。

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午後のセッションは、ブルックナーの録音です。

昨夜の本番は1階席でしたが、見学者は2階か3階へ座るようにとの案内でしたので、私たちは2階バルコニーの右手のステージ近く、L3扉の前列22、23番の席に陣取りました。ステージがよく見渡せて、天井の高いこのホールの響きがよく感じとれる最上席です。

上から見渡すと、オーケストラの配置がよく見えます。1階最前列の2列をつぶしてステージを目一杯前方へと張り出されているのがよくわかります。オーケストラの人数からすれば必要はないのですが、おそらく録音を考えてのセッティングだと思います。

座席はほとんど空席です。そのために昨夜のコンサートの印象よりも響きがライブです。一般的には、座席を倒してできるだけ満席に近い状態にしたりするのですが、あえて、ライブな響きでの録音。見学者は上層階へとの案内もそういう意図なのでしょう。

実際にセッションが始まってみると、ブルックナーにはうってつけの音響です。残響が長く、高い天井やシューボックス型の長い一次反射音の照り返しがいかにも壮大なブルックナーのスケール感や、ハーモニーの厚みにふさわしい。まるで教会のオルガンのような響きと臨場感があるのです。

セッション前には、呼吸合わせです。

音楽の一体感を重視するDRTでは、いつも、こういう気のストレッチのようなことをやっているそうです。私たちも含めて全員で、まるでヨガのような深呼吸を全員で同時に行います。これに続いて、いよいよ音出しなのですが、ここでもウォームアップ代わりにバッハのコラールを演奏して全員のハーモニーの響きと息を合わせます。プロの楽団のような仕事本位のよそよそしさとは違った、団員の一体感が生まれてくるのです。

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こういう配置を上から眺めると、その意味合いがよくわかります。

会社の職場などでもデスクの配置を換えると意識が変わると言われますが、オーケストラでも同じなのです。ひとりひとりが向き合うように小さな島を作れば、小組織内のコミュニケーションが増します。ブルックナーのように全員が横一列に前を向くレイアウトは、オーケストラの序列とか、ヒエラルキーのようなものが解消してしまいます。全員が、客席に向かって同等です。コンサートマスターとか、2列目、3列目…とか、ファースト、セカンドとか、そういう序列が無くなり、全員が対等の立場でひとりひとりが同じ責任を持ち、主役となって活き活きとした全体の響きと音楽を創り上げていく。まさに「空間力」なのです。

だから、みんなが意見を自由に言い合って、録音が進められていく。

録音の手順は、先ず楽章毎に順次進めていきます。まず通しで演奏。通しが終わったところで、西脇さんが、どこかやり直したいところがあれば手を上げて希望を言ってくれと声をかける。各自が自由に希望箇所の意見を出して、部分テイクを行う。一通り終わると、また、次の楽章の通し録音に入る…というもの。

通常は、こうした別テイクというのは指揮者が決めるもの。あるいは録音プロデューサーが仕切るものです。楽団員はそれに従うのが一般的なやり方です。ところがDRTでは、楽団員が意見を出して、どんどんと進めていく。「指揮者」というものは、ほとんど不在なのです。ここがDRTの「革命」の中核にあります。

途中に20分ほどの休憩が入ります。

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その休憩時間も、ホワイエに設置されたモニターシステムでプレイバックが再生されていて、何人かの団員が思い思いに聴き入っています。N&Fの公開録音では、いつも、このB&W800シリーズの中堅機がロビーに設置されていて、演奏者も含めてよくこんな形でモニターしています。

この日のモニタースピーカーは、B&W803D3。アンプとDACはMARANZと、言ってみれば家庭用であっても何の変哲も無いシステムですが、とても良い音で鳴っています。


DRTが大事にするのは、自主性とか自発性。

面白かったのは西脇さんの「間違いは気にするな」というひと言。テイクの録り直しというのは、どこかにミスがあったから…と考えるのが常識です。ところが西脇さんは「アラ探しをしてもしょうがない。ミスの修正なんて(編集で)どうにでもなる。自分でも、指揮者でも気づかないミスなんていっぱいある。」「ミスなんて気にするな。時間がもったいない。」それよりも「こうやりたい。もっとよい演奏ができる。」というところをやり直そうと言うのです。

最もやり直しが多かったのは、やはり、楽想と楽想のつなぎ目のところ。微妙なルバートやテンポの切り換え、間の取り方とか、パートとパートの受け渡しなどです。これは、演奏者同志の呼吸合わせでもあるので、各人から意見が飛び交うことになります。こういう録音セッションやリハーサルを目の当たりにするのはなかなかありません。DRTならではの光景です。

ブルックナーの交響曲というのは、演奏者にとっても退屈な音楽だという楽屋裏の陰口を聞きます。

えんえんと単調なトレモロを弾かされて、ヒジが痛くなった…などなど。オーケストラの練習というものは、他のパートが主役の部分に口を出すなど考えられない。「管轄外」とか「つかさつかさ」というのは官僚が好む言葉ですが、これほどブルックナーにふさわしいものはなく、ただひたすら脇役の退屈に忍従し、誰もが主役を見失い、自分の参画を忘れがちになる音楽。ところがDRTの録音セッションでは、平気で他のパートに意見を出す。トランペットの彼は、時には自分が座っているだけの部分で弦セクションのアンサンブルにまで口を出す。それに弦パートは笑いながら耳を傾け互いに弾きながらフレージングやタイミングを確認し合うのです。

「指揮者はいないほうがいい」というのは、西脇氏の持論だとか。

実は、前夜のコンサート本番では、指揮者が指揮するのをやめてしまった瞬間がありました。スケルツォ楽章で、ふと、目を上げると西脇氏が両手を下げてしまいスコアを見ているだけ。トリオから始めにもどって終わりまで、とうとう手を振ることはありませんでした。目で見るのではなく、耳で聴いて合わせるDRTの真骨頂です。

録音セッションでも「途中で指揮をやめるかもしれないけど、止めないように。」「よっぽど走ったら…いや、走ってもいいよ。だんだんテンポが速くなったっていいんだ。」と言ってから、スケルツォ楽章に入ります。正直言って、このスケルツォ楽章は、前夜の本番以上のスリリングな出来だと思いました。

終楽章も、ほとんど録り直し不要のノリのよいファーストテイク。最後の最後になって、西脇さんが自ら「じゃあ、私からの提案」と、録り直しを指示。「録り直しの理由?それはやればわかるよ」とにやりとしました。それは113小節目のトランペットのソロがオクターブの2音の跳躍の部分。意味深な言い方でも以心伝心で伝わるのか、件のトランペットの彼がつい緊張していきなり失敗。ステージは笑いに包まれる。ここだけ4回も繰り返しましたが、最後はトランペット奏者もやったぁとガッツポーズ。団員全員が大拍手の大団円となりました。
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