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2019年09月12日02:45

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だれもが、自分の中に種として宿しているものにしかなれない。




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だれもが、自分の中に種として宿しているものにしかなれない。

osho

どんな親でも、子どもが不幸せなままでいるとは思いたくない。

 親は、子どもの幸せを望むものだ。

 ただ、彼らの考え方が間違っているにすぎない。

 両親は子どもが医者になれば、

 あるいは大学教授か技術者か科学者になれば幸せになれるだろう、

 と考える。

 だが、彼らには分かっていない! 

 子どもたちが幸せになれるとすれば、

 それは彼らがそうなるべく生まれてきたものになる場合だけだ。

 子どもたちは、自分の中に種として宿しているものにしかなれない。


 だから、可能な限りあらゆる手を尽くして、子どもたちに自由を与え、

 機会を与えるようにつとめなさい。

 ふつう、子どもが母親に何か訊くと、

 母親は子どもが言っていることを聴こうともせず、

 子どもが訊いていることにノーとしか答えない。


 「ノー」というのは権威のある言葉だが、

 「イエス」のほうはそうではない。

 だから、父親も母親もその他の何らかの権威の座にある人たちも、

 どんな些細な事柄に対してもイエスと言いたがらない。

 子どもは、家の外で遊びたがる。

 だが「ノー」だ。

 子どもは雨が降っているのに、外に出て雨の中をはね回りたがる。

 だが、それに対しても「いけません! 風邪をひきます」という。


 風邪は癌ではない。

 だが、雨の中で踊らせてもらえなかった子どもは、

 二度とそんな経験をする機会もなく、

 非常に大切で美しいものを逃すことになる。

 風邪をひいても、それだけの価値はあったかもしれない――

 それに、子どもが必ず風邪をひくというわけでもない。

 それどころか、子どもは手厚く保護されればされるほど、

 ますますひ弱になる。


 より大きな自由を与えておけばおくほど、子どもには免疫力がつく。

 親は、イエスと言うことを学ばなければならない。

 ふつう、親がノーと言う場合の99パーセントまでは、

 ただ権威を誇示するためでしかない。

 誰もが一国の大統領になれるわけではないし、

 何百万という人びとに権威を振るえるわけでもない。

 だが誰でも、夫となって妻に対して権威を振るうことならできる。

 どんな妻でも母親となって、

 子どもに対して権威を振るうことはできる。


 どの子どもも縫いぐるみを持っており、

 縫いぐるみの熊になら権威を振るうことができる。

 縫いぐるみの熊なら、部屋の隅から隅へ蹴とばして、

 たっぷり平手打ちを食わせてやることができる。

 その平手打ちは本当は、母親か父親にお見舞いしたいと思っていたぶん 

 だ。

 そして、哀れな縫いぐるみの熊にはその下がいない。

 これが権威主義社会というものだ。

 私が言っているのは、自由に満ちあふれ、

 「イエス」という言葉は聞き慣れていても

 「ノー」という言葉はめったに聞いたことがない子どもたちを

 生み出していく過程で、

 権威主義社会は消え去っていく、ということだ。

 私たちは、もっと人間的な社会に住めるようになる。

 
 したがって、これは子どもだけの問題ではない。

 この子どもたちが、明日の社会となっていく。

 三つ子の魂百まで、という諺のとおりだ。







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