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2018年08月29日01:47

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「人に優しくしたい」のに、自分の意地悪い思いに愕然とさせられます。





「人に優しくしたい」のに、自分の意地悪い思いに愕然とさせられます。

津留晃一

 自己の本質に目覚めかけた人は、
人に何かしてあげる事に大きな悦びを発見します。

「人に優しくしたい」という、
人間の根元的欲求があるからです。

できる限り奉仕しようと心に決めると、
奉仕されたい人を引き寄せ始めます。

「人のためにつくす事は良い事です」と親から、
そして教育者から教えられ、
その考え方を自我が握りしめたままになっている人は、

もうこれ以上自分には出来ない
という限界まで依頼が増え続けます。

 やがてあなたに対する他人の依頼が限界を超えてくると、
あなたはイライラしはじめます。

イライラした時の人の思考パターンは誰でも一緒です。

その人の「優しくありたい」という気持ちとは裏腹に、
「そのくらい自分でやればいいのに」
というエゴの思いが脳裏をかすめます。

 人に奉仕するという、
プラスを追い求め続けている人に
現れてくる共通のジレンマです。

優しく依頼に応じられない自分の非力を嘆きます。

自分の意地悪き思いに愕然とさせられます。

こんな落とし穴に落ち込んでもがき苦しんでいる人が、
今この時期、たくさんいらっしゃるようです。

 ある人は、こんな事ではだめだと更に頑張り、
自分を鍛えようと努力し続けますが、
いずれにしても限界にぶち当たり、

もうどうにもならなくなるまで
他人のあなたへの依頼は増え続けてしまうものです。

 これは努力によって解決できるものではありません。

自分を責めてみたところで解決するものでもありません。

あなたが頑張れば頑張っただけ
相手からの要求もエスカレートしてきます。

あなたと相手はひとつだからです。

あなたが相手につくそうと思えば思っただけ、

相手は同じだけあなたに要求を持ちかけるわけです。

創造主としてのあなたがプラスを思えば思っただけ

その反作用としてマイナスを創りだしているからです。

 そこで人は考えます。

おかしい、何かがおかしい。

良い事をしようとしているのに何で俺は苦しいのだろう。

何でお前はそのくらい自分でやらないのだ。

そのうち人は依頼されること自体を
重荷に感じるようになってくるわけです。

人に何か頼まれることに恐怖を感じている人がたくさんいます。

苦しくて苦しくて、極限までいった人は考え始めます。

どうしてこんな事になってしまうのかと。

意識が内側を向き始めます。

外にばかり向いていた意識が内側に向き始めるのです。

そこからがあなたの真の成熟の時です。

 他人から頼まれごとをしたとき、
ビクッとする事はありませんか?
 
特に自分には出来そうもないと思っていることを
依頼されたとき、どうしようと混乱するのではありませんか? 

あなたは本当は何を恐れているのでしょうか? 

どうして単純に出来ませんと言えないのでしょうか? 

人からの要求にどうしてそんなに敏感に反応するのでしょう。

あなたに対する要求は全てはあなたのハイヤーセルフが、
あなたを神へと導くために起こしている現実にすぎません。

 「人助けをすることは良い事である」と握りしめている人は、
なかなか他人からの依頼を断ることが出来ません。

これも執着です。

「良い」と「悪い」を手放しましょう。

人に奉仕できなくてもいいのです。

それよりももっと大切なことがあります。

神はまずあなたが幸せになることを望まれているのです。

 教育により、人は正しさを学びます。

大切な学びの第一歩です。

「して良いこと」と「してはいけない事」を学びます。

こうして健全な意識の第一歩を学びます。

他人からの賞賛というご褒美に
エゴはいい子でいることに満足を覚えるからです。

人の意識が外に向かい始めます。

 こうして良い子になったエゴは、
さらなる賞賛を求め続けます。

他人に奉仕したいという自分の動機をチェックしてみて下さい。

その動機はどこからきていますか? 

そうすることが「良いこと」だと判断した結果、
行動しているのではありませんか?

 「それが良い事だからそうする」、
そんな事は当たり前だと考えるかもしれませんが

「良い事だから」と判断しているのは誰でしょう。

判断とはあなたの心が下すもの。

すなわち判断しているのはあなたの自我に他なりません。

すなわち純粋動機ではありません。

純粋動機とは「ただしたいからそうする」といったものです。

すなわちあなたの内なる源からわき上がってくる
行動欲求だけが純粋動機と呼ばれます。

純粋欲求に従って行動している人に苦しみはありません。

そこに比較判断がないからです。






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