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2018年08月27日02:14

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生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。



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生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。

osho


黄金の華とは光だ。
人は黄金の華を象徴として用いる。
「水の領域の鉛にはひとつの味しかない。」という詩句はそれをさす。

黄金の華は象徴だ、あなたのエネルギーがもはや二元的ではなくなり、
ひとつになったときの象徴だ。

まるで黄金の光の華があなたのなかで咲いたかのようだ。

しかし、それはたんなる象徴にとどまらない---
象徴ではあるが、文字通り真実だと言ってもいい。
それはまさにそのように起こる。

たった今、あなたは闇として、暗い夜として存在している。
それが起こるとき、あなたは日の出の姿をとって現れてくる。

どこにも太陽を見ることはできないが、光はそこにある。
その光には光源がない---それは光源のない光だ。

だが、ひとたびその内にある黄金の光を知れば、
あなたは不死なる者になる。
そうなったら死は存在しない。
光はけっして死ぬことがないからだ。



生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。
すべては光の現れに過ぎない。

現代の物理学者に尋ねてもいい。
現代の物理学者たちの見解は、

「すべては光だ。形は変化し続けるが、光は続いてゆく。 光は永遠だ。」

という点で、タオと完全に一致している。

世にある聖典の多くは、「光」という言葉で始まる。
「太初に・・・神は『光あれ』といわれた」それが始まりだ。
もしも始まりがあったとすれば、他の始まり方はありえなかっただろう、
きっと光とともに始まったはずだ。
だが、始まりなどというものはけっしてなかった。
これはたんなる寓話にすぎない。
光はつねに存在している。

 『コーラン』は「神は光だ」と言う。
スーフィたちが神に与えた名前のひとつはヌルだ。

ヌルとは光のことだ。

その味は変わらない---それが私に起ころうが、あなたに起ころうが、
その味は変わらない。仏性の味は同じだ。

仏陀はこう言った。
「仏性の味は大海のようだ。
北で味わったとしても、岸辺で味わったとしても、
沖で味わったとしても、大海の味は変わらない。
仏性の味もそのようなものだ」

この永遠の光を達成した瞬間、その人の生はただひとつの香りを放つようになる。
その香りは完全な覚醒によって包まれている。

彼の無意識は消滅している。
もはや彼の実存には暗い部分がどこにもない。

さあ、フロイト派の分析家がこのような人を調べたとしても、
見つかるのは意識だけだろう。
そこにあるのは 意 識 だ け で、無意識は見つからない。

フロイト派の分析家があなたのなかを見ると、


ごく一部にしか意識がない。


その一部に対して無意識の部分が九倍ある。



意識をもっているのは、あなたのこころのたかだか十分の一にすぎない。



仏陀のような人には100パーセントの意識がある。








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