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2018年08月19日07:31

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人は昔から解放されている。 今更何に解放されるのだ。


浜中 和晴


河井寛次郎の言葉


すべてのものは、自分の表現

ものは向こうにある。確かに今向こうに見える。

そもそもこれは何ものであろう。

無数のものが向こうにある。

見える限りの向こうにある。

そもそもこれは何ものであろう。

これはこれ、ものはものだけとしてあるのであろうか。

それはそれとして独立した別個のものであるのだろうか。

こんなものが自分以外の何ものかを現しているとしたならば、一体このものは何であろうか。


幸か不幸か、吾々はそんなものの中には住んではいない。

ものは向こうにある。確かに今向こうにある。

しかし其処にあるものは、そのものに向かっている自分自身とどんな関係があるのであろうか。

別個のものが関係しあう。・・・そういう事が出来るであろうか。

無関係ならば関係しなくともよい筈なのに、

一番関係しあうという事は一体どういう事なのであろう。


こちらが変わればあちらも変わる。

・・・これは一体どういう事なのであろう。

一見別個でありながら、見えないものでしっかりつながっている、

これはその証拠でなくてはならぬ。

自分自身を現していないものなんかあるであろうか。

誰でもものの前に立っては、そのものと同位、同量、同質、同時、同処、・・・

そういう自分が其処にいることに気付かない訳にはゆかない。

よしそうと解らなくても、又そうでないと思っても、事実はそうなのだから仕方がない。

仕方がない吾々はそんな生命なのだ。


全自分で表現している世界。自分だけでしか表現出来ない世界。

その人にしか属しない世界。意識しようとしまいとその人次第の世界。

浅く見ようと、深く見ようと、広く見ようと、狭く見ようと、それでそのままその人の世界。

どうにもこうにもならない世界。何人も犯す事の出来ない世界。・・・

人はそういう世界の住人であるとは、まあ何とした事なのであろう。


これはこれ、類似の世界の中に居りながら一々違った独自の世界。

すべては自分がつくっている世界。

だからこそ作り放題の世界。

どんなにでも作れる世界。


これこそ真当の世界。・・・これ以外に真当の世界が何処にあるのであろうか。

人は縛られてなんかいない。嘗て縛られたことがあったであろうか。

縛られていると思うならば、それは縛っている自分自身なのだ。

人は昔から解放されている。

今更何に解放されるのだ。


河井寛次郎の言葉


いのちは歩く

刻々歩く。

はてしもなく歩く。

・・・こんな処にいたのか自分。

驚きというのは、喜びというのは、見知らぬ自分に出会った自分。・・・

そういう自分を見つけた以外の何ものでもない。


至る処にいない事のない自分。


無数の自分。



見つくす事のない自分。




(アート:nirav/Tadayoshi Arai)
(シャンタンさんに代わり、ヌクイノブアキが投稿させていただきました)
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