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2018年02月26日07:01

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あなたが誰であれ非難した瞬間、あなたは自分自身を非難している。





あなたが誰であれ非難した瞬間、あなたは自分自身を非難している。


質問

愛するOSHO。

「あなたは世界だ」

これはクリシュナムルティの困惑させられる声明のひとつです。

私達がこれを理解するのを手助け出来る人は、

この地球上であなた以外には現存していないと私達は考えます。

ですから、これについて何か言ってくださるようお願いします。



osho

昨日、質問がまだ残されていた。明日の為に残されていた。

だがたった今、明日など決してやって来ないことに私は気がついた。

いつの日か明日がやって来るまでは、その質問は待たねばならない。

J・クリシュナムルティの「あなたは世界だ」という声明は、全く困惑するものではない。

それはとても単純だ。

理解するにはほんの少しの知性が必要だ。

私達はこの声明に、いくつかの異なった方向からアプローチを試みることが出来る。

世界というのはただの名前だ。


「個」が現実(リアリティ)だ。あなたは世界中で、世界を見つけようと試み続けることも出来る。

だが、あなたはそれを見つけられない。

あなたはいつも「個」を見つける。

「世界」や「社会」、「宗教」「国家」といった言葉は、その背後にはどんな内容もない、

単なる言葉にすぎない・・・空っぽの容れ物だ。

あなたを除いて他に世界はない。


これが、その声明を理解するひとつの道だ。

個がただひとつの現実であり、世界とは個の集合に他ならないということが。

だから世界が何であれ、それは複数の個の集まったものだ。

もしそれが醜いなら、あなたはその醜さに寄与している。

もし世界が憎悪で、嫉妬で、怒りで、貪欲で、野心で満ちているなら、

あなたが私達の住んでいるこの地球全体にそれを与えている。

あなたは責任を、他の誰かに転嫁することは出来ない。


私達はひっきりなしに責任を転嫁している。

戦争がある時、アドルフ・ヒットラーが、ロナルド・レーガンがいる時、

これらの人々を指して責任は彼らにあると言うのは、私達にとって簡単になる。


だが、誰が彼らを創り出すのだろう?

アドルフ・ヒットラーは私達の寄与だ。

私達がいなければ、彼は誰でもない。

ロナルド・レーガンは私達の意見に他ならない。

それは私達の票決だ。

それは私達の支持だ。

だから、あなたが誰であれ非難した瞬間、覚えておきなさい。

あなたは自分自身を非難している。

あなたの寄与がいかに間接的なものであろうとも、それでもあなたの加担はそこにある。

ジャイナ教の僧や、仏教の僧や、カトリックの僧のように、

僧院で世間に関しては完全に閉ざされて生活することも可能だ。

チベットには僧院がある・・・中国には共産革命以前はたくさんあった。


ヨーロッパには奇妙で長い歴史と共に、いくつかが存在している。

ヨーロッパのエトズにある僧院は、千年の歴史がある。

千年の間に誰であれこの僧院に入った者は、生きては出ては来れなかった。

あなたは入るだけだ。

ひとたび僧侶になったら永遠に僧侶だ。

そして僧院は、その在院者が世間に出て来ることを許さない。

彼らは死んで初めて外に運び出される。

あなたは彼らには、アドルフ・ヒットラーについての責任がないと思うかね?

彼らには世界大戦についての責任がないと?

一見そのように見える・・・どうしてこれらの人々に責任を問えるだろう?


世間を去った人々、決して振り返りもしなかった人々、自分自身を世界から断絶させた人々。

だが、それでも私はあなた方に言おう。

彼らには責任がある、彼らは逃避したことで責任がある・・・

彼らは自分達の責任から逃避した。

それは何の違いも生み出さない。

仏教の僧侶、ジャイナ教の僧侶、ヒンドゥ教の僧侶は、世間での活動に従事していない。

だがあなたは積極的な方法で寄与することも出来るし、消極的な方法で寄与することも出来る。

あなたはこの家に火をつけることが出来る・・・

それは積極的な方法、活動的な方法だ。

あなたは道路の脇に立っていることも出来る。

その火を消す為のどんなこともしないで・・・それは消極的な方法だ。

だが、どちらにも責任がある。

消極的な人物には、それほど責任があるようには見えない。

だが彼らの責任は絶対的に等価だ・・・というのも、生にはバランスがあるからだ。


あなたは戦争に反対しているかもしれない。

あなたは平和主義者かもしれない。

あなたは反戦主義者かもしれない・・・

いつも旗を持って戦争に反対し、暴力に反対し、抗議している。

当然、あなたは言うことが出来る。

「どうして私に責任があるだろう?」と。だが生は複雑な現象だ。

あなたの抗議、あなたの平和主義、あなたの戦争屋に対する戦いは、

それすら戦争の一部だ。

あなたは平和の人ではない。あなたはそれを、人々が抗議する時に見ることが出来る・・・

彼らの怒り、彼らの暴力はあまりに強いので、

なぜこれらの人々が戦争に反対しているのか、不思議に思うほどだ。

彼らは戦争しているどこかの兵営に参加すべきだ・・・彼らは怒りに、激怒に満ちている。


単に彼らは「平和」という美しい名前の背後に、第三の兵営を持つことを選んだのだ。

よい仮面だ。

だが内側には同じ怒りが、同じ激怒が、同じ暴力が、同じ破壊性がある。

誰であれ、彼らに賛同しない人達に対して。

彼らは他の誰とも同じ量の暴力を、雰囲気に対して寄与している。

彼らは愛について話しているかもしれない。

だが彼らは、あなたは愛の為に戦わなければならないとも言っている。


ハズラット・モハメッドの剣には「平和が私のメッセージだ」

という意味の言葉が印(しる)されていた。

彼は「平和が私のメッセージだ」と印すのに、剣しか見つけられなかった。

そして彼は、自らがイスラムと呼ぶ宗教に生を与えた。

「イスラム」とは平和の意味だ。

そしてイスラム教は世界中で、他のどんな宗教もなさなかったほど多くの暴力を行なった。

平和の名のもとに剣の切っ先で、イスラム教は何百万の人々を殺戮し、改宗させて来た。

あなたは美しい言葉を選ぶことが出来る。


だが、あなたは現実を隠すことは出来ない。

J・クリシュナムルティの「あなたは世界だ」という声明が単に力説している事実は、

あらゆる個人がどこにいようと、どんな者であろうと、私達の周りに存在しているこの世界を

創り出していることの責任を受け容れるべきだ、ということだ。


もしそれが狂っているなら、あなたは自分自身のやり方でその狂気に寄与している。

もしそれが病んでいるなら、あなたもまたそれを病気にさせている共犯者だ。

彼が力説していることは重要だ・・・なぜなら、あなたが「私もまたこの悲惨で

狂った世界に対して責任がある」と理解しないかぎり、変化の可能性はないからだ。

誰が変えることになるのか?

誰もが、他の誰かに責任があると考える。


インドの偉大な皇帝のひとりアクバル。

彼の一生の中で「アクバル・ナマ」・・・

「アクバルの伝記」に記録されているひとつの出来事がある。


ある日、彼は単に友人達とおしゃべりをしていた・・・

彼は自分の周りに国のあらゆる所から選ばれた、

まさに最良のもっとも賢い、もっとも創造的な人々を抱えていた。

彼のすぐ脇に立っていたのは、彼の宮廷道化師だった。


ところであなたは理解しなければならないが、

あらゆる偉大な皇帝のどこの宮殿にも道化がいたものだった。

その役目全体は宮廷が深刻になりすぎないように、宮廷が軽く、

陽気であるように維持することだった・・・たまには爆笑になるように。

宮廷道化師を置くというのは偉大な洞察だった。

そして彼はいつも、その当時の最も偉大な賢人のひとりだった・・・

というのも、それは容易な現象ではなかったからだ。

ビルバルはアクバルの宮廷道化師だった。

彼らが議論している時、アクバルはビルバルに平手打ちを食わせた・・・全く何の理由もなく。

さあ、あなたは皇帝を叩き返すことは出来ない。

だが、この平手打ちはどこかに行かなければならない・・・

それで彼は、自分の脇に立っていた人物に平手打ちを食わせた。


誰もが思った。

「これは奇妙だ!

最初から何の理由もなかった。

突然、狂気がアクバル帝に取り憑いたかのように、彼は気の毒なビルバルを叩いた。

そしてあの男も奇妙だ。

『なぜあなたは私を叩いたのですか?』

と尋ねるよりむしろ、彼は自分の脇に立っていた人物を叩いた!」


そしてその男は、多分これがこの宮廷の規則なのだと考えて、次の人物を叩いた。

連鎖的にそれは宮廷中を廻った。

あなたは驚くだろう。


夜には、アクバル帝の妻が彼をひっぱたいた!

彼は言った。

「なぜおまえは私を叩くのか?」彼女は言った。

「それは問題ではありません。ゲームはゲームですから」

彼は言った。

「これがゲームだと誰が言ったんだね?」彼女は言った。

「私達は1日中、大変なゲームが宮中で始まったと聞いていたのです。

ルールは叩き返さないということだけ、誰か他に叩く人を見つけなければいけない、と。

そして誰かが私を叩きました・・・

だからあなたの平手打ちは、自分のところに戻って来たのです。

ゲームは完了しました!」


この広い世界で、何千もの狂気じみたゲームが進行している。


そしてあなた方はみな、その参加者だ・・・

もちろんとても小さな規模で、あなたの能力に従って。

だが覚えておきなさい。

その平手打ちは遅かれ早かれ、あなたのところに戻って来ることになる。

それがどこに行くというのか?

何であれあなたのもとにやって来るものは、覚えておくがいい。

それはあなたのしたことだ。


おそらくあなたは、それを始めた時に忘れてしまったのかもしれない。

世界は広大だ、時間がかかる。

だが全てのものがその源泉に帰って来る・・・

それは生の根本的なルールのひとつだ、ゲームのルールではなく。


だからもしあなたが苦しんでいるなら、もしあなたが惨めなら、

もしあなたが緊張しているなら、不安と苦悩でいっぱいなら、この世界全体は

醜い、他の誰もが醜い、自分は犠牲者だと、単に自分自身を慰めてはいけない。










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