3人で昼飯後に寄る。 2回目。 妻は初めてで。
家のほうからは車で10分くらいの、昔倉敷〜総社までの山野街道沿いにある
平安時代建立の由緒あるお寺で、境内からの山道を登ると
南北朝時代の城跡があるとか。
その時代はまだ倉敷は存在していない。 あっても、羽島、玉島、水島、連島(つらじま)、児島、、能楽で有名な藤戸の付近、、
昔は島だった、地域で、まだ海だった時代はその地域のほうが古い。
石段の真ん中にある碇は、寺の本尊が毘沙門天で、七福神のそれだから、
「宝船を停泊させるため」 と、人間の怒りを収めるため、だと、
お寺の人に聴いて。
まだ赤とんぼが飛んでいた。
今年はまだあったかい。
お堂の中にある毘沙門天像の蒐集が素晴らしいが、(内部の写真はネット拝借)
木像ばかりなのは、
金属だと戦国時代に鋳つぶされてるから残ってない、ってな話もあったりで。
初めて来た妻は、そのお堂に入ろうと、閉まってる違う入り口を開けようとした。
この近くには、黒住教の施設があるのだが、
そこは、うちの父に連れられて、うちの店の和菓子の配達にきていたところで、、
と言っても、私が幼稚園の頃で、、。
ちなみに、父によると、
塩尻という苗字の私の一族の先祖は、
南北朝の頃の新田義貞にくっついてやってきた一族だとかで、
このお寺の近くでの戦の後、この地域に居座ったんだろう、とかで。
ここからすぐの真備町には先祖の墓もあって、うちの他の一族の塩尻性の墓も多いので、たまに倉敷市内では塩尻性に遭う。
倉敷以外では、京都に多いとかで、でも全部あわせても600世帯くらいしかないとか。
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