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2019年10月22日10:01

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中身はエロ。

吾妻ひでおさんの近況をツイッターで拝見していた理由が、
私が若い頃に、サイン会に並んだことがあったからで。

1981年、18歳で
京都調理師学校に通っていた頃、その学校があった京都の河原町御池、
向かいは移築した京都本能寺のほぼ隣にあった本屋でサイン会が行われるというポスターをその店の前だったかで観てのそれで。

京都と言うところは、大阪もそうだが、地方から見れば大きいけど、
東京から見れば、一地方都市なので、
めったやたらにイベントがどこかでやってるということは無かった。東宝松竹吉本なのどの大手興行会社の劇場と、地元落語会は別にしたら
芝居やコンサートなぞ、東京発の有名劇団の公演があっても、大阪では一日〜3日くらいしか
公演されずだったので、それほどどかどかとイベントがあるってことは無かった。


ーーーーー

話はもう少し先になるが、こんなことがあった。
ある年に、国立文楽劇場でお芝居での「アマデウス」が一か月公演をやった。
映画にもなっている戯曲で、江守徹、松本幸四郎の主役でそれはそれは
東京で大当たりしたので、大阪公演は、宣伝費をあまりかけなくても大丈夫だろうと
興行主側がおろそかにしたら、客がさっぱり来なかったという
ほぼ事件のようなことがあって、大阪での興行は怖いという実績が出来てしまったこともあったりする。

ーーーー

私の調理師学校の時代、当時の京都会館という場所で
タモリさんの「ラジカルヒステリーツアー」という
コンサートに行ったことがある。
まだ笑っていいともが始まる前の全国ツアーで。
唄と笑いとの催しで、一曲歌って
第一声が「京都でございます、、、、、街は死んでおります」、、
で、、、客席大笑いで、、。

ーーー
ーーーーー話を元に戻す。

当時の私はマンガはまだ読んでいたが、少年雑誌はもうやめていた。
で、吾妻ひでおさんの漫画は少年雑誌で読んでいたのは
まだ小学校時代の「二人と5人」くらいしか記憶が無い。

すごいファンではなかったが、当時、月間雑誌で
奇想天外というコアなSFマンガファンのための雑誌を読んでいたのもあって、
珍しさもあって初めてサイン会に並んだ。

ただ、そこで初めて知ったのは、著書の本を前もって本屋で買っておかないとダメで、
1500円くらいだったか、の本を購入しておいて
予約券をもらったかな、で、その日に並んで。

その本屋はあまり大きな本屋ではなく、
奥の奥の狭い空間に机を置いての吾妻ひでおさんが、座ってらっしゃって。
関係者が一人二人そばに居るその行列に並ぶと、まあ、どこでもそうだが、
それっぽい物が好きそうな若者ばかりだった記憶がある、、
いしかわじゅんの絵にサインされているTシャツを着ている奴が
並んでいたり。


自分の順番が来る。
吾妻さんは当時30歳代前半だったと思う。
ぼそーっとした感じで、すこし嫌そうな顔だった。

私に
「あの、、なにか描いてもらいたい人物はいますか?」
と訊いてくれたのに
わたしは上がって
「いえ、何でもいいです」と言うと
もっと嫌そうな顔をした感じで
さささささーーーっと絵を描いてくれたのが上の写真。

本の中身は、全編エロ。それも少女エロなので
いまだと出版できない。たぶん。

この人からかなあ、不条理マンガって名前がついたのは、、。

と言う、
若かりし頃の思い出でした。

何十年か経って、失踪日記を読む。
当時うちの身内が失踪していたのでそれとダブったりする。
その身内から後できいたが自分も読んだと。
マンガはまだ恵まれてるほうだと。

ご冥福をお祈りします。
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