昨日の日記の続きです。
本来は富岡だけのはずでしたが、廃炉資料館が休みだったので一本早い列車に乗れました。
ということで、車窓から気になった浪江駅でおりてみました。
浪江の駅周辺はけっこう家がありました。
しかし、誰も住んでいません。
それも、震災の時そのまま。
壊れた家が、9年がたった今もその時のまま残っているのです。
お店もそうです。
地震が起こった時、そのまま。
時計や眼鏡の店は、良いものは盗まれたのかもしれませんが残っている商品がたくさん残っていました。
9年がたっても、時が止まっているこの町。
ちょっと恐ろしくなりました。
いくつかは更地になっていました。
あちこちで解体作業も行われていました。
しかし、ほとんどの家は解体を待っている状態です。
三陸などの被災地と比べると、9年がたった今もこの状態は異常に見えました。
放射線の影響で、手をつけることができなかったのでしょう。
これも全て原発の影響なのでしょう。
実際に自分の目で見て、いろいろ考えさせられました。
世界には、地震と全く縁のない国もあります。
そういう国は良いとは思います。
しかし、日本は地震大国。
いくら技術が進んでも完璧はありません。
原発が有る限り、また事故がいつかは起こると思います。
順次止めていくべきだと、浪江町を見てより思いました。
廃墟のような町並みで梅の花。
ちょっと癒されました。
富岡と浪江や双葉。
ずいぶん違うなと思います。
原発利権で潤った町と周辺の町の違いですかね。
浪江の景色は、とても恐ろしい忘れられない光景でした。
昨日は、南相馬の原ノ町で泊まりました。
夜は「えん」さんで一杯。
福島の地酒と刺身などの肴を楽しみました。
初めての福島の浜通り、いろいろ考えさせられました。
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