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mixiユーザー(id:26450852)

2019年12月12日14:17

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水垣渉さんの『西谷宗教哲学におけるキリスト教』の犲个疇匹澂瓩ら

ネットで水垣渉さんの『西谷宗教哲学におけるキリスト教』という論文を見つけたので、ざっと犲个疇匹澂瓩鬚垢襦

水垣渉さんは、京都大学文学部哲学科基督教学専攻卒業し、のちに教授として宗教学第二講座(キリスト教学)担任する。わたしは小高毅共編の『キリスト論論争史』(日本キリスト教団出版局)を読んでいる。

その『西谷宗教哲学におけるキリスト教』という論文において水垣渉さんは次のように書いている。

「西谷が西洋哲学とともにキリスト教思想の全体について原典からの研究による深い知識をもち、二次的文献にも広く通じていたことは、驚嘆に値する。」

「西谷の思想を研究する場合に、少なくともドイツ神秘主義研究頃までの西谷のキリスト教思想の研究の跡を辿り、西谷が身につけていたキリスト教の思想的・歴史的理解を理解しうるほどにわれわれもキリスト教に通じることを求めてもいる。」

わたしは、西谷啓治先生の『田辺哲学について』という論文を読んだが、西谷啓治先生のドイツ神秘主義の研究にももう一度チャレンジしたくなっている。まずは『神と絶対無』というドイツ神秘主義研究の主著を読み直さねばと思っている。

水垣渉さんの『西谷宗教哲学におけるキリスト教』という論文を読んで゛いて、西谷啓治先生は道元の『正法眼蔵』を読まれているときも、アウグスティヌスを問題にされていたことを思い出した。西谷啓治先生は仏教、禅仏教についても代にされるときも、爛リスト教的に言えば瓩箸爛リスト教の立場では瓩半錣縫リスト教との比較、共通性を問題とされたことを思い出した。

きっとキリスト教と仏教との比較、共通性を問題とするところに、西谷宗教哲学の特色があるのかもしれない。水垣渉さんの『西谷宗教哲学におけるキリスト教』を犲个疇匹澂瓩靴討い襪箸にそんなことを思っていた。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月12日 14:27
    「存在・有−無」←「神―創造主」「有る・在る」ことからしか出発できない人間存在−社会的・類的存在。悩み多し…げっそり
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月12日 17:56
    > mixiユーザー 
    そうですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月12日 18:30
    わーい(嬉しい顔)指でOK

mixiユーザー

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