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2019年11月28日14:53

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田辺元なのか、それともドストエフスキーなのか

狹鎚娶気、それともドストエフスキーか

わたしが今一番欲しい全集は、『田辺元全集』(筑摩書房)と『ドストエフスキー全集』(新潮社)である。『田辺元全集』なのか、それとも『ドストエフスキー全集』かと聞かれたら、今の時点では『田辺元全集』だと答えるであろう。

若い頃、京都帝国大学文学部で田辺元の授業を聞いていた恩師・原野栄二先生は、田辺哲学は犲錣量簑雖瓩亡悗靴得湘津学の不足していた部分を補っただけに過ぎない。そのような意味で田辺哲学はどこまでも西田哲学の猜箚悪瓩任△襪里砲垢ないと言い切っていた。わたしも田辺哲学は西田哲学の狆貊蠅力斥瓩諒箚阿箸靴騰犲錣力斥瓩鯏験したのにすぎないと考えている。

ただ、田辺元は西田幾多郎と異なって海外留学を経験している。田辺元はドイツ留学でフッサールに師事し、またハイデッカーなどとも交流を持っている。その点に単に書籍だけではなく、実際に開会の空気を吸った経験のある田辺元の国際感覚があり、その国際感覚が田辺哲学の犲錣力斥瓩箸いε学体系にもつながっていると考えている。

しかし田辺哲学の犲錣力斥瓩蓮△匹海ら来ているのだろうか。例えば、西田哲学の狆貊蠅力斥瓩アリストテレスからヒントを得たのに対して、田辺哲学の犲錣力斥瓩呂匹海ら来ているのだろうか。わたしは、田辺哲学の犲錣力斥瓩カントの構想力の問題、もっと言えばカントの『純粋理性批判』の「図式論」からヒントを得て構築された論理ではないだろうかと思っている。

田辺哲学の犲錣力斥瓩砲ける犲鎰瓩箸蓮↓猯爿瓩鉢犖牒瓩箸涼羇屬飽銘屬掘↓猯爿瓩人類、犖牒瓩個人であるのに対して、犲鎰瓩箸鰐餌欧箙餡箸箸いΤ鞠阿紡弍しているのである。当時のいい意味でも悪い意味でも猝餌沖瓩箸いΩ斥佞盛んに叫ばれ始めた時期でもある。田辺元が犲錣力斥瓩鮃獣曚兄呂瓩浸期は、このような国際的、政治的背景も影響していたと考えられる。

また田辺元が犲錣力斥瓩鮃獣曚兄呂瓩浸期は、ヨーロッパではハイデッガーが『有と時』を発表し始めた時期であり、また『カントと形而上学の問題』を発表した時期と重なる。つまり狢減澂甅犹間甅狎こΝ瓩箸いΩ斥佞当時の哲学界での中心的キーワードとなっていた時期である。ハイデッガーが図式「時間」と大いに関連付けられる構想力を犧源力瓩箸靴燭海箸鉾稟修靴董田辺元が空間性を重視したのも当時の哲学界の動きと軌を一にしている。当時の哲学界がカントを重視し、そこから出発して独自の哲学体系を構想したように、田辺元の犲錣力斥瓩發泙織ントからヒントを得たのではないかと考えている。

西田哲学は、狆貊蠅力斥瓩箸靴童充太こΔ任△詢鮖謀世界を説明しようとした。そこでは田辺哲学の犲錣力斥瓩留洞舛鮗けて犢餡鉢瓩鯡簑蠅箸靴茲Δ箸靴拭つまり田辺哲学が如何に西田哲学の猜箚暗存在瓩任△辰燭箸靴討癲E鎚嫖学の理解なしには西田哲学の理解もないのである。

そのような意味からももう一度『田辺元全集』を手元に置いておきたいように思われてならないのである。そんな意味からも今の時点では『ドストエフスキー全集』よりは、『田辺元全集』をもう一度狒幹揃い甅犒酳鸞靴き瓩納蠅貌れたいと思っている。
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