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2019年11月23日13:16

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田辺元の『図式「時間」から図式「世界」へ』という論文

ここ数年、また田辺元の『図式「時間」から図式「世界」へ』という論文が見たくなってきた。

カントは、1781年に『純粋理性批判』を刊行して7年後の1787年に大幅に訂正した『純粋理性批判』第二版を再刊行している。1781年版をA版と呼び、1787年版をB版と呼んでいる。

そのA版とB版とで大幅に変えられたのが「構想力」の位置であった。A版では、悟性と感性に対する第三の能力とも読み取れる位置であったが、B版では悟性の一部として書き直されていた。

カントにしてみれば、構造力が悟性と感性に対する第三の能力と読み取れられることを危惧して、「演繹論」を全面的に書き換えたのであろう。しかし「演繹論」に続く「図式論」は全く書き換えられていなかった。「図式論」とは、認識の純粋形式である時間が如何にして感性である直観の内容を認識の内容、つまり悟性に結びついていくかを論じた章である。「図式論」自体はそんなに長くない、短編な章であるが、内容的には『純粋性批判』では大きな位置を占める章なのである。

『純粋理性批判』のA版B版の問題は、以後哲学史において重要な問題となっていく。例えば、現象学を考案したフッサールはB版を重視したのに対して、その弟子のハイデッガーはA版を重視し、「構想力」を犧源力瓩箸靴童臉や感性が成立してくる形而上学的意味を持たしたのてある。

ハイデッガーが「構想力」を犧源力瓩箸垢襪里蓮◆峪間」という問題があった。「構想力」は「時間」に深く関わる能力であったからだ。そのハイデッガーの論に批判的考察を加えたのが田辺元であった。田辺元はドイツ留学中、フッサールの元で学び従ってハイデッガーとは犒残鐵鏤勠瓩謀たる間柄であった。ゆえに田辺元はハイデッカーの論文に注目し、ハイデッガーも田辺元の批評を気にしていた。

田辺元がハイデッガーの『カントと形而上学の問題』という著作を批評した第一論文が『図式「時間」から図式「世界」へ』という論文なのである。田辺元はこの『図式「時間」から図式「世界」へ』という論文においてハイデッガーが「時間」のみを犧源力瓩箸靴燭海箸鯣稟修掘▲ントの純粋形式のもう一つの「空間」も「時間」と同じく犧源力瓩箸靴騰狄渕亜崟こΑ廰瓩箸いΔ海箸鮖愿Δ靴親睛討世辰燭海箸鬚Δ辰垢蕕罰个┐討い襦なんせ23歳の頃に読んだきりなので内容としてはその程度しか覚えていないのだ。

田辺元の「種の論理」の初期論文に上記の『図式「時間」から図式「世界」へ』という論文は含まれる。『田辺元全集』の「種の論理」気房められていたと思う。従って『田邉元全集』の「種の論理記供廚鮃愼したいと思っている。あと講演「死生」と「正法眼蔵の哲学私観」は読んでみたい。ここにきてまた『田辺元全集』が欲しくなった。ただもう置く場所はないのであるが。

しかし田辺哲学の「種の論理」は、田辺哲学の真髄をなしていろ論理であり、西田哲学との対決を考えていくうえでも重要な論理である。田辺哲学の「種の論理」が田辺元の教行信証論である『懺悔道としての哲学』に見大きく関係しているのである。

今回、文教堂書店淀屋橋店で岩波文庫『田辺元哲学選機銑検戮鮹輅犬靴討い襪、そこに収められていない論文なんかが読みたくなってきている。さてどうしたものなのか。少し悩んでいる。
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