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2019年11月10日14:20

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戦前の「大日本帝国」が犯した失敗を、爐覆ったことにしようとしている疉潮に抗して

(社説)表現への圧力 萎縮を招く危うい流れ
 より良い社会を築くために多様な表現の場を守るべき国や自治体が、それとまったく逆の動きをする出来事が続く。
 ウィーンで開催中の展覧会について、在オーストリア日本大使館が友好150周年事業の認定を取り消した。日本の戦争責任に触れた動画や、原発事故を題材にした作品を問題視したようだ。一部の人が「反日的」と言い出し、自民党議員が外務省に問い合わせていた。
 民主主義の発展には、不都合なことも表に出して議論を交わし、考えることが大切で、権力は無用の介入をしてはならない――。そんな近代社会の基本を理解せず、芸術への尊敬を欠く国だと宣言したに等しい。
 国内では、慰安婦を扱った作品の公開に待ったがかかった。
 少女像の写真を片隅にコラージュした作品に対し、三重県伊勢市は主催美術展での展示を不許可とした。市民の安全が脅かされる恐れがあるという。川崎市は、共催する映画祭で慰安婦問題のドキュメンタリーを上映することに懸念を示し、主催NPOはいったん中止を決めた。
 伊勢市は「あいちトリエンナーレ」での混乱を引き合いに出し、川崎市は、映画の制作側と一部出演者との間でトラブルがあることを理由に挙げたが、いずれもおかしな話だ。
 伊勢市の場合、脅迫などの事実があったわけではないし、真に安全が心配ならば警察と連携して備えるのが筋だ。展示させないのは、気にくわない表現活動を力で封じ込めようとする勢力に加担するのと同じだ。川崎市も過剰反応は明らかで、こうした振る舞いが「事なかれ」の風潮を生み、社会の萎縮を招くことに無自覚すぎる。
 さらに気になる動きもある。
 文化庁所管の日本芸術文化振興会は、「公益性の観点から不適当」と判断した場合、活動への助成金支給を取り消すことができるよう要綱を改めた。
 関係者が罪を犯した場合を想定していると言うが、ならば要綱にそう書けばよい。公益という、いかようにも解釈できる用語には危うさがつきまとう。「あいち」に対し、文化庁が手続きの不備を理由に補助金を不交付とする異例の措置をとった直後だけに、現場に動揺と不信を広げた。撤回を求める。
 文化庁の不交付決定は多くの批判を浴び、おとといの文化審議会の部会でも、専門家委員らから厳しく指弾された。川崎の映画祭では、映画人らの抗議で一転、上映が実現した。
 一つひとつの動きに目を光らせ、それぞれの立場で声を上げることが大切だ。沈黙やあきらめの先にあるのは、市民的自由を失った寒々しい社会だ。
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上記は、昨日の朝日新聞の社説「表現への圧力 萎縮を招く危うい流れ」の全文である。

最近、何かにつけ、安倍晋三は犖悗蠅△詁本瓩箸狷本の誇り瓩箸という言葉を軽々に使っていることが気になって仕方がない。

安倍晋三が軽々に口にする犖悗蠅△詁本瓩箸狷本の誇り瓩箸という言葉は一体何を意味するのであろうか。

これらの言葉が声高らかに語られるようになって、犁貽本軍にによる従軍慰安婦瓩筬狷邉大虐殺事件瓩廊爐覆ったことにしよう瓩箸いκ薫狼い現代日本社会に蔓延しているように思われてならない。

狆女像の写真を片隅にコラージュした作品に対し、三重県伊勢市は主催美術展での展示を不許可とした。市民の安全が脅かされる恐れがあるという。川崎市は、共催する映画祭で慰安婦問題のドキュメンタリーを上映することに懸念を示し、主催NPOはいったん中止を決めた。

山崎雅弘氏が指摘しているように狷本瓩箸いΔ海箸砲蓮∪鐐阿痢崑臚本帝国」と戦後の「日本国」とが含まれている。たしかに戦前の「大日本帝国」と戦後の「日本国」との間には猩続性瓩發△襪里任△蹐Δ、猗麩続性瓩發△襪里任△襦「大日本帝国」と「日本国」とは別の国家なのであり、わたしたちが生きているのは「日本国」なのである。従ってわたしたちは「大日本帝国」を客観的に、距離感をも持って評価しなければならない。

戦後の「日本国の誇り」とは、建前的に戦後70年以上にわたり一度も国家として狎鐐茘瓩魑こしたことのない、猜刃孫餡鉢瓩世箸いΔ海箸任△襦その猜刃孫餡鉢瓩箸靴討痢崙本国の誇り」は、戦前の「大日本帝国」の失敗に学ぶことが多いのである。むしろ狃招外岼舵慳簑雖瓩蓮∪鏝紊痢崙本国」を生きるわたしたちにとっての犇儀韻箸垢戮教材瓩覆里任△襦

牘撚荳廚念岼舵慳簑蠅離疋ュメンタリーを上映することに瓩覆辰討い燭修留撚茵惻臉鐓譟戮鬚錣燭靴聾に行ってきた。見たことにより狃招外岼舵慳簑雖瓩里澆覆蕕此△錣燭靴燭舛麓分たちの過去、歴史という問題にどのように向き合うべきなのかということをいろいろと考えさせられる一つのきっかけとなった。それはあの狃招外岼舵忰瓩鮠歡Г垢襦愍女像』もそうである。頭から「反日的」と反発する人もいれば、歴史と真摯に向き合うことの必要性を感じる人もいたであろう。

爐茲衫匹ぜ匆颪鮹曚ために多様な表現の場を守るべき国や自治体が、それとまったく逆の動きをする出来事が続く。
犖益という、いかようにも解釈できる用語には危うさがつきまとう。


現代日本社会は、戦前の「大日本帝国」が犯した失敗を、爐覆ったことにしようとしている疂向に大きく流れ出そうとしているように思えてならない。

牋譴弔劼箸弔瞭阿に目を光らせ、それぞれの立場で声を上げることが大切だ。沈黙やあきらめの先にあるのは、市民的自由を失った寒々しい社会だ。

わたしたちはそのような流れに声を大にして狢圓辰伸瓩鬚けて否ねばならない。でないと、わたしたちもまた戦前の「大日本帝国」の失敗を繰り返してしまうことにつながるからである。
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