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2018年05月07日12:51

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「東京レインボープライド」が問いかけていること

■「性的少数者の理解増へ、法律つくるべき」自民・稲田氏
(朝日新聞デジタル - 05月06日 22:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5099642

(日曜に想う)「伝統」が発明される時代 編集委員・大野博人
 伝統とは、守るべきものなのだろうか。だとしたらどうして?
 土俵の女人禁制が物議を醸したとき、まず伝統と現代の価値観の対立に焦点が当たった。そのうち、女人禁制が伝統かどうかあやしくなった。だいたい日本書紀には女性が相撲をとったという記述がある。ほんとうに伝統か。
 いや、そもそも伝統って何だ? 何が伝統になるのか?
 「江戸時代、女性は相撲の観戦もできなかった。ではなぜ、観戦禁止は明治になって解除されたのに、土俵の女人禁制は守ることになったのか。興行上の理由でしょう」と話すのは、早稲田大学スポーツ科学学術院のリー・トンプソン教授。たしかに、女性ファンを受け入れた方がもうかるに決まっている。
 習慣のうち、あるものを捨て去り、あるものを温存して伝統に格上げする。その線引きは恣意(しい)的で、時代と社会の都合次第。
 教授は「横綱の発明と優勝制度、あるいは双羽黒の逆襲」という論文で、大相撲の代名詞のような横綱も創られた伝統だと指摘している。
 横綱は18世紀に考案されたが、人気力士が単独で土俵入りを演じる際、腰につける白い綱のことだった。それをつけた力士が、横綱として番付で大関の上に載るようになったのは20世紀初頭。ちょうどその時期に、場所ごとに成績で個人優勝者を決める制度も発達した。以前にはなかった優勝制度だ。その導入は相撲の近代化だったと言える。
 ただ近代化しても伝統の国技というイメージは必要と考えられた。その役割を担ったのが横綱を掲げる番付だ。伝統性を表象する横綱制度は、優勝制度導入による近代化とのバランスをとるかのように発明された。行司がえぼしなどで伝統を装うようになったのもそのころだ。
 「日本には、伝統を守りながら近代化してきたという物語があります。西洋の国々に追いつき追い越せとやってきたけれど日本の精神は守ったんだと。大相撲もそれを体現しています」
     *
 伝統とされるものごとは、古いと言われるし、そう見える。しかし、その起源がかなり最近であることはしばしばで、ときには発明されることもある――。
 英国の歴史家、エリック・ホブズボームらが1983年に出した研究書「創られた伝統」で打ち出した考え方だ。英国スコットランドの古い伝統の象徴、タータンチェックのキルトの衣装ができたのは実は近代になってから。そんな例が本の中で紹介されている。
 「発明された伝統」の場合、過去とのつながりがあるようでも「大半が見せかけ」とホブズボーム。でも、それはそのときどきの社会が抱える問題の「症状」や「指標」でもあるという。
 彼の分析によると、多くの国が伝統の発明に励んだのは19世紀末から20世紀初めにかけて。近代化の大波にもまれ、人々は自分の居場所について動揺していた。その心を国や地域に結びつけ、人々を束ねたい政治権力に役立つような伝統が創られていった。
     *
 今再び、伝統を言いつのる時代が来ているようだ。
 日本では、憲法に日本の伝統的価値観を盛り込もうという主張が目立つ。2006年に改正された教育基本法は伝統を「継承」したり「尊重」したりする教育の推進をうたっている。ほかの国でも、自国の誇りを取り戻せとばかりに伝統を強調する言説が広がる。
 おりしもグローバル化や少子高齢化で社会は急激な変化にさらされている。不安が消えない人々に向けて政治家や言論人がせっせと伝統を発明しているように見える。「夫婦別姓は伝統を壊す」「家族で助け合うのが伝統」……。
 「伝統って何でも入れられる箱みたいなもの」と、トンプソン教授は注意を促す。「伝統といえば、人は守らなければと思ってしまいがちです」
 伝統というだけで、なにかを説明したことにはならない。伝統といわれただけで、恐れ入るわけにはいかない。
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上記は、昨日の朝日新聞に掲載された、編集委員・大野博人氏による「(日曜に想う)「伝統」が発明される時代」の全文である。

大野博人氏は次のように書き出す。
狹租とは、守るべきものなのだろうか。だとしたらどうして?/ 土俵の女人禁制が物議を醸したとき、まず伝統と現代の価値観の対立に焦点が当たった。そのうち、女人禁制が伝統かどうかあやしくなった。だいたい日本書紀には女性が相撲をとったという記述がある。

相撲において狹租的に土俵は女人禁制瓩箸いζ本相撲協会の見解に物議を醸した。それは日本相撲協会が語る「伝統」が狠暴平等瓩箸いΩ渋紊硫礎祐僂亡世覆なっていたからである。そして今日本相撲協会は、狹敝兇禄人禁制瓩箸いΑ崚租」を検討しているという。

しかしこの大野博人氏の議事でわたしが最も注目したのは、次の一説である。

燹嵌明された伝統」の場合、過去とのつながりがあるようでも「大半が見せかけ」とホブズボーム。でも、それはそのときどきの社会が抱える問題の「症状」や「指標」でもあるという。/ 彼の分析によると、多くの国が伝統の発明に励んだのは19世紀末から20世紀初めにかけて。近代化の大波にもまれ、人々は自分の居場所について動揺していた。その心を国や地域に結びつけ、人々を束ねたい政治権力に役立つような伝統が創られていった。

猗明された伝統瓩蓮↓狢臠召見せかけ瓩任△蝓△靴も狎治権力に役立つような伝統が創られていった瓩箸いΔ里任△襦まさしく猗明された伝統瓩箸廊狎治権力に役立つよう瓩冒呂蕕譴薪租なのである。

では、狷雲婚瓩呂匹Δ世蹐Δ。

そもそも犒觝Л瓩箸蓮何であり、ひとは一体何のために犒觝Л瓩垢襪里任△蹐Δ。そもそも犒觝Л瓩鬚垢詭榲とは何かということから考えていきたい。

人は何のために犒觝Л瓩鬚垢襪里世蹐Δ。それは、家庭を築くためであろう。ではその過程とは何だろうか。それは、その家庭を築こうとする二人が考えればいいことである。たとえは、爐父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいて瓩箸いΣ板軈を狷本の伝統的な家庭像瓩世箸い辰董△修發修皺板蹐箸呂海里茲Δ覆發里世函家庭像という牴礎祐儉瓩魏,敬佞韻討呂覆蕕覆い里澄世の中には、爐錣燭靴燭舛六匐,鮖たない瓩箸いι徂悗眤燭いる。ではその夫婦には家庭はないことになるのであろうか。そんな馬鹿な話はない。

日本国憲法第24条は次のように定めている。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

この第24条は、当時GHQで憲法草案に関わっていた、ベアテ・シロタ・ゴードンさんによるものだということが近年わかってきた。ベアテさんがこの第24条に込めた思いとは、牴搬伽験茲砲ける個人の尊厳と両性の平等瓩任△辰拭

ベアテさんが見た当時日本社会において女性は爛札シュアル・マイノリティ瓩噺世辰討いい茲Δ蔑場であったという。戦前の日本社会において狃性参政権瓩惑Г瓩蕕譴討い覆った。さらに多く場合、結婚は親あるいは家が決めることになでおり、個人意思など全く顧みられることはなかったのである。まさしく女性は爛札シュアル・マイノリティ瓩任△辰拭だからベアテさんは牴搬伽験茲砲ける個人の尊厳と両性の平等瓩亮存修箸い思いを込めて、日本国憲法第24条を創案したのである。

そのベアテさんが見た、爛札シュアル・マイノリティとしての女性瓩領場は、まさしく爛札シュアル・マイノリティであるレズビアン、ゲイ瓩凌佑燭舛領場そのものなのであろう。憲法学者である木村草太氏によれば、現行憲法にある「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」の猯樟瓩箸話韻豊狠暴瓩箸いΠ嫐だけではなく、狠肪豊甅狃女瓩箸いΠ嫐も持ちうるといわれている。つまり憲法第24条でいう猯樟瓩箸廊犧意を望む二人瓩箸いΠ嫐なのだといわれるのである。

この木村草太氏の見解は、第24条を草案したベアテさんの見解に最も近いように思われ、まさしく第24条の懇意における犖朕佑梁砂鏑瓩箸いΔ海箸帽臙廚靴討い襪里世函△錣燭靴蝋佑┐襪里任△襦

大野博人氏は次のようにこの記事を終わられている。

犧再び、伝統を言いつのる時代が来ているようだ。/ 日本では、憲法に日本の伝統的価値観を盛り込もうという主張が目立つ。2006年に改正された教育基本法は伝統を「継承」したり「尊重」したりする教育の推進をうたっている。ほかの国でも、自国の誇りを取り戻せとばかりに伝統を強調する言説が広がる。/ おりしもグローバル化や少子高齢化で社会は急激な変化にさらされている。不安が消えない人々に向けて政治家や言論人がせっせと伝統を発明しているように見える。「夫婦別姓は伝統を壊す」「家族で助け合うのが伝統」……。/ 「伝統って何でも入れられる箱みたいなもの」と、トンプソン教授は注意を促す。「伝統といえば、人は守らなければと思ってしまいがちです」/ 伝統というだけで、なにかを説明したことにはならない。伝統といわれただけで、恐れ入るわけにはいかない。

爐修發修皺板蹐箸呂海Δ△襪戮だ瓩箸いΝ狒呂蕕譴薪租瓩砲錣燭靴燭舛廊爛痢辞瓩箸いΔ戮時期に来ているのではないだろうか。わたしにはそのことを「東京レインボープライド」というイベントは強くわたしたちに問いかけているように思えるのである。

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