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mixiユーザー(id:26450852)

2017年01月29日13:42

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「歴史認識」という問題は牴甬遒僚侏荵瓩鬮犧・現在瓩鮴犬るわたしたちはどのように考えるのかという問題なのである

■「帝国の慰安婦」朴教授に無罪判決 ソウル東部地裁
(朝日新聞デジタル - 01月25日 16:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4401182

(論壇時評)孤独な本 記憶の主人になるために 作家・高橋源一郎(朝日新聞2014年11月27日)
去年、韓国で出版され、「元慰安婦の方たちの名誉を毀損(きそん)した」として、提訴・告訴された、朴裕河(パクユハ)の『帝国の慰安婦』の日本語版が、ようやく公刊された〈1〉。感銘を受けた、と書くのもためらわれるほど、峻厳(しゅんげん)さに満ちたこの本は、これから書かれる、すべての「慰安婦」に関することばにとって、共感するにせよ反発するにせよ、不動の恒星のように、揺れることのない基軸となるだろう、と思われた。そして、同時に、わたしは、これほどまでに孤独な本を読んだことがない、と感じた。いや、これほどまでに孤独な本を書かざるを得なかった著者の心中を思い、ことばを失う他なかった。
 「朝鮮人慰安婦」問題は、日本と韓国の間に深刻な、修復不可能と思えるほどの亀裂を生み出した。片方に、「慰安婦は、単なる売春婦に過ぎない」という人たちが、一方に、「慰安婦たちは、強制されて連れて来られた性奴隷だ」とする人たちがいて、国家の責任をめぐって激しい論争を繰り広げてきた。
 朴裕河はこういう。
 「これまで慰安婦たちは経験を淡々と話してきた。しかしそれを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦問題を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない。さまざまな状況を語っていた証言の中から、それぞれ持っていた大日本帝国のイメージに合わせて、慰安婦たちの〈記憶〉を取捨選択してきたのである」
 朴がやろうとしたのは、慰安婦たちひとりひとりの、様々な、異なった声に耳をかたむけることだった。そこで、朴が聞きとった物語は、わたしたちがいままで聞いたことがないものだったのだ。
     *
 朴は、「朝鮮人慰安婦」たちを戦場に連れ出した「責任」と「罪」の主体は、帝国日本であるとしながら、同時に、実際に彼女たちを連れ出した朝鮮人同胞の業者と、そのことを許した「女子の人生を支配下に置く家父長制」(日本人の場合も同じだ)を厳しく批判する。
 「謝罪」すべきなのは、帝国日本だけではない、「韓国(および北朝鮮)の中にも慰安婦たちに『謝罪』すべき人たちはいる」のだ。だが、そのことは忘れ去られた。なぜだろうか。植民地に生きる者は、時には本国民よりも熱く、その宗主国に愛と忠誠と協力を誓った。それが仮に真意ではなかったとしても。そして、そのことは、忘れるべき「記憶」だったからだ。
 「日本人慰安婦」の代替物として戦場に送られた「朝鮮人慰安婦」にとって、日本人兵士は、時に(身体と心を蹂躙(じゅうりん)する)激しく憎むべき存在であり、時に(同じように、戦場で「もの」として扱われる)同志でもありえた。その矛盾を生きねばならなかった彼女たちの真実の声は、日本と韓国、どちらの公的な「記憶」にとっても不都合な存在だったのだ。
 「何よりも、『性奴隷』とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽(いんぺい)してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面のみに注目して、『被害者』としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる」
 かつて、自分の身体と心の「主人」であることを許されなかった慰安婦たちは、いまは自分自身の「記憶」の主人であることを拒まれている。その悲哀が、朴の本を深い孤独の色に染めている。
 木村幹の『日韓歴史認識問題とは何か』は、朴が提起した問題への、日本の側からの誠実な応答の一つであるように、思えた〈2〉。
 「日韓歴史共同研究」に参加した著者は、朝鮮半島に関わる研究者たちが巻きこまれざるをえない、歴史認識問題をめぐる争いの中で、疲れ果て、アメリカへ赴いた。そこでの「リハビリのためのトレーニング」として、この本は書かれた。
     *
 木村は考える。
 なぜ、歴史認識をめぐって、不毛とも思える激しい争いが繰り広げられるのか。あるいは、なぜ、かつては問題でなかったことが、突然、問題として浮上するのか。そして、なぜ、その問題は、いまもわたしたちを苦しめるのか。
 それは、「過去」というものが、決して終わったものではなく、その「過去」と向き合う、その時代を生きる「現在」のわたしたちにとっての問題だからだ。
 では、「過去」が「現在」の問題であるなら、わたしたちはどう立ち向かえばいいのか。
 「わたしたちの生は過去の暴力行為の上に築かれた抑圧的な制度によって今もかたちづくられ、それを変えるためにわたしたちが行動を起こさないかぎり、将来もかたちづくられつづける。過去の侵略行為を支えた偏見も現在に生きつづけており、それを排除するために積極的な行動にでないかぎり、現在の世代の心のなかにしっかりと居すわりつづける」(テッサ・モーリス=スズキ〈3〉)
 遥(はる)か昔に、植民地支配と戦争は終わった。だが、それは、ほんとうに、遠い「過去」の話だろうか。違う。戦争を招いた、偏見や頑迷さが、いまもわたしたちの中で生きているのなら、その「過去」もまた生きているのである。
     ◇
 〈1〉朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(今月刊=日本語版)
 〈2〉木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』(今年10月刊)
 〈3〉テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(文庫版が今年6月刊行。単行本は2004年刊)
     ◇
 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。小説作品に『さよならクリストファー・ロビン』(谷崎潤一郎賞)、『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)など。評論集『「あの戦争」から「この戦争」へ』が近日刊行予定。
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上記は、2014年11月27日に朝日新聞に掲載された、作家・高橋源一郎氏の「(論壇時評)孤独な本 記憶の主人になるために」の全文である。

このなかで高橋源一郎氏はわたしたちに次のように問いかけている。

猝畋爾蝋佑┐襦/ なぜ、歴史認識をめぐって、不毛とも思える激しい争いが繰り広げられるのか。あるいは、なぜ、かつては問題でなかったことが、突然、問題として浮上するのか。そして、なぜ、その問題は、いまもわたしたちを苦しめるのか。/ それは、「過去」というものが、決して終わったものではなく、その「過去」と向き合う、その時代を生きる「現在」のわたしたちにとっての問題だからだ。/ では、「過去」が「現在」の問題であるなら、わたしたちはどう立ち向かえばいいのか。

「旧日本軍による従軍慰安婦制度」という問題は、日本人にとっては牴甬遶瓩僚侏荵であが、韓国の人たちにとってみれば、決して牴甬遶瓩僚侏荵ではないのだ。旧日本軍によって慰安婦にされた老婆がいれば、それは同胞として見捨ててはおけない犖什澂瓩僚侏荵であり、犖什澂瓩量簑蠅覆里任△襦だから韓国国内で慰安婦を象徴する狆女像畧瀉屬箸いμ簑蠅箸靴読修譴討い襪里任△蹐Αたとえ、国家間での条約で戦後処理が終わったと言え、その条約に犁貽本軍による従軍慰安婦制度瓩含まれていなかったとなれば、そのような行動をとるのは当然のことであろう。立場を変えてみれば、分かることではないだろうか。

「歴史認識」という問題は、牴甬遒僚侏荵瓩鬚匹里茲Δ貿Ъ韻垢襪里という問題ではなく、牴甬遒僚侏荵瓩鬮犧・現在において瓩匹里茲Δ貿Ъ韻垢襪里という問題なのだ。つまり牴甬遒僚侏荵瓩鬮犧・現在瓩鮴犬るわたしたちはどのように考えるのかという問題なのである。

高橋源一郎師は次のようにも書かれている。

猖僂蓮◆崢鮮人慰安婦」たちを戦場に連れ出した「責任」と「罪」の主体は、帝国日本であるとしながら、同時に、実際に彼女たちを連れ出した朝鮮人同胞の業者と、そのことを許した「女子の人生を支配下に置く家父長制」(日本人の場合も同じだ)を厳しく批判する。/ 「謝罪」すべきなのは、帝国日本だけではない、「韓国(および北朝鮮)の中にも慰安婦たちに『謝罪』すべき人たちはいる」のだ。だが、そのことは忘れ去られた。なぜだろうか。植民地に生きる者は、時には本国民よりも熱く、その宗主国に愛と忠誠と協力を誓った。それが仮に真意ではなかったとしても。そして、そのことは、忘れるべき「記憶」だったからだ。/ 「日本人慰安婦」の代替物として戦場に送られた「朝鮮人慰安婦」にとって、日本人兵士は、時に(身体と心を蹂躙(じゅうりん)する)激しく憎むべき存在であり、時に(同じように、戦場で「もの」として扱われる)同志でもありえた。その矛盾を生きねばならなかった彼女たちの真実の声は、日本と韓国、どちらの公的な「記憶」にとっても不都合な存在だったのだ。

狷本と韓国、どちらの公的な「記憶」にとっても不都合な存在瓩箸靴討痢峙貽本苦戦による従軍慰安婦制度」という牴甬遒僚侏荵瓩豊犧・現在瓩鮴犬るわたしたちはどのように考えるのかということが問われているように思えてならないのである。


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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年01月29日 17:14
    まいど!

    今また歴史は繰り返そうとしているように私には見える。

    戦争はいつも「同朋を守る・国を守る」として始められる。それは交戦国お互いに。

    そして同様の問題が「強姦」という形で行われる。

    つい最近「南スーダン」であり、またIS、シリア・イラク紛争、またアフリカなどでもボコハラムー少女誘拐事件があった。

    そしてオランダ・ドイツにも経済問題よりの公娼制度が残存し、ヨーロッパ・日・米なども非合法的に「形を変えて」残存する。

    そしてほとんどが「男性によるー性欲処理・強姦(経済的であっても)」問題であるだろう。「人身売買など」もそれにより在るという。

    そして「戦争ー非日常において顕著」となる。そこに「他者への思慮・おもいやり」などとの余地は無い。


    しかし以前に「性ー男と女」が在り、尚「そうするしかない」と言う形で肯定してはならない問題だと思う。

    批判し、糾弾してゆかなければならない問題だと私は思うよ。わーい(嬉しい顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年01月30日 12:40
    > mixiユーザー 
    わたしも今の世界が狎鐐悪瓩北瓩辰討い襪茲Δ忙廚┐董危機感をもっています。

mixiユーザー

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