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2020年05月26日00:29

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SNSはノーカンサードにすべき

読むことを禁ず



何を書くかというと木村花のことである。
Twitterで一通り書き終えたが、誤解があってはならない問題だし、表現に非常に神経を使うし、自粛を判断せざるおえないことばかりだし、時間がかかるばかりで言いたいことが書けない。

SNSはそれでいいのか?
カンサードでオクパードになってしまってはいけない。
ここでは誰も見ないから何を書いてもいいというわけではないが、本来、許されることは書いていいはず。
じゃあ書くぞ。


そろそろ悪の現況が「テラスハウス」であるという記事が出始めているが、最初の方は「誹謗中傷」に対する怒りの声ばかりであった。
誹謗中傷は悪いことだが、そんな当たり前のことを言って木村花に何かいいことがあるのかと言いたい。レスラー仲間が感情のはけ口とするのは自由だし辞めろとは言わないが、それは自己満足にしかならないし何もいいこと起きないよと言いたい。

誹謗中傷を原因としてしまうとまずは
「気にするのが悪い」
という意見が必ず出てくる。
あと俺みたいな奴はこう言う。
「見なきゃいいのに」
会社で上司に対面で罵倒されることは避けられないが、SNSでの誹謗中傷は避けることができる。「自らの意思でわざわざ読んで自分で勝手に苦しんでいる」と言われたら終わりである。実際は、読まざるおえない状況があるだろうが、それは本人以外には「でも何とかなる方法はあったはず」で片付けられる。

投稿内容をいくらか見たが、確かにひどい表現だし俺だったら10件も見ないうちにアウトだ。毎日100件も読むメンタルはない。
しかし思ったことは
「番組に対する感想や意見であり、これを誹謗中傷扱いされると、SNSでは賞賛しか書いてはいけないのか?」というものもあるし
「この表現で自殺してたら、ノンスタ井上は100回以上自殺している」となる。
文字そのもので判断すると、かつてないほどの特別おぞましい表現とも言えない。
誹謗中傷する輩を非難するコメントを聞いても説得力が感じられない。

「有名人はみんな誹謗中傷されている。もっとひどい人もいる。その人達は自殺していない。自殺を選択したのは木村花だけだから木村花の性格の問題」
という理屈がまかり通ってしまう。
それらのこともあり、誹謗中傷にフォーカスを当てるのはナンセンスである。

問題なのは表現そのものよりも、誹謗中傷に至る経緯である。
例えば不祥事を起こした人間に対するものと何も悪いことをしていない人への誹謗中傷では同じ文章でも意味は同じではない。
それはチュートリアル徳井もそのことを言っている。
他にも一部のお笑い芸人のように「炎上商法」をしている人間にとってはウェルカムであるのに対し、普通に炎上は嫌だとしか思わない人では受け取り方が違う。
「死ね」も普通に考えると人道に反する言葉だが、それを喜ぶ人もいるのだ。
だから、言葉一つ一つ取り上げることはナンセンスなのである。
「やめろ」もそう。それが誹謗中傷ならば「安部やめろ」のコメントもできなくなる。

相手を選べというのも不毛な意見。
「木村花は本当は繊細なんだ」というのも視聴者にはわからない。「気が強そうだから大丈夫だろう」と思うのは普通だろうから。誰が気が強くて、誰がスルースキルがあるのかなんて一般人にはわからない。ノンスタ井上だって本当は繊細でスルースキルが低いかもしれないだろう。結果的に病的にポジティブだっただけだ。
一般人に相手を選べというのは無理。「前のあいつのとき大丈夫だったから次のこいつも大丈夫だろう。」ぐらいしか考えないから。

それと誹謗中傷が本心ではなく単なる「かまってちゃん」である場合は、真剣に対応するのもバカらしい。そしてKENTAのようにその「かまってちゃん」をかまうことをビジネスにしている人もいる。「かまってちゃん」にとっては、どんなやりとりであってもかまってもらうことは嬉しい。「かまってちゃん」には誰がかまってくれる人か前もって判断する方法はない。だから彼らにとっては無差別に誹謗中傷するしかないし、SNSの性質上、前もって相手の人間性を考慮することを要求するのは違うと思う。

追加。誰も追加前は読んでないだろうけど。
プロレスラーが「死ね」「消えろ」等言うのはよくあること。
でも誹謗中傷にはならない。
これはリップサービスであると理解されているからだ。
だから言葉そのもので批判することは論理が成立しない。
観点は言葉そのものではなく、その言葉に至る過程である。
てのが追加。

木村花が被害者であることは間違いない。
だが、誹謗中傷野郎を非難することは木村花にとってかえってマイナスになるかもしれないと言いたい。

問題とするのは「なぜ木村花対誹謗中傷野郎という構図ができてしまったのか」である。
結論から言うとテラスハウスの編集が「わざと」その構図を作ったのである。

「コスチューム事件」が最も大きな原因とされている。
いろいろな記事や一部の動画も見たが、木村花は全く悪くなく一方的な被害者である。そこでまず先程挙げた不祥事を起こした者とは質が違うものになる。不祥事を起こした者が「死ね、消えろ」と言われるのと被害者なのに「死ね、消えろ」と言わるのは文字が同じでも意味が違う。
某弁護士の言葉を信じてこれは誹謗中傷ではないとして書くが、この一件について、クソ住居人がまるで木村花が悪いかのような態度や言動をしている。そして、そう見えるようにクソ製作者が編集している。
それと、小林快とかいう野郎が木村花に怒られているときのあの顔。生まれつきかもしれないが、怒られている奴の表情ではないし反省しているようには全く見えない。かなりひいたは。そりゃあの顔されたらキレて当然だ。

「あれはテレビとして演じているのに信じるな」という人もいたが、視聴者は製作者の意図を汲み取る義務はない。単純に「木村花が悪い気がする」と思っても何の罪もない。その中に誹謗中傷をする輩が出てくる。そんなことは製作者は前もってわかっているし、それどころか計算通りだろう。言ってしまえば、誹謗中傷野郎は製作者の手のひらの上で踊らされているということだ。

そういった計画について製作者と木村花の間で意思確認を取っていれば悲劇は起きなかっただろうが、「リアリティ」とやらを理由に苦しむ様を放置していたのだろう。「今まで大丈夫だったから、今度も大丈夫だろう」ぐらいにしか考えていなかっただろう。
これもかなりひいたのはホームページのコメント
「木村花さんの突然の訃報に接し、言葉を失っております。」
正気ですか?なんとでも取れる表現だが、言葉を失うのはこっちだよ!まるで第三者のコメントじゃないか。まずは謝罪じゃないの?「木村花が死んだせいで番組が終わる。」と被害者面でもしているんじゃないの?
出川じゃないけど「ここのスタッフ、ここ(頭を指さす)」という気分だ。

さらに、この事件のニュース、フジテレビだけ報道は一日遅れで、本日も報道時間はダントツで短い。バイキングでも5分ほど触れた後、突然、同じく韓国で自殺した元KARAのハラのネタを長時間やっていた。

まとめる必要はないがまとめると
木村花は誹謗中傷により自殺した。
誹謗中傷が大きくなるきっかけはテラスハウスである。
テラスハウスの編集は、木村花が誹謗中傷されることを意図的に狙ったものである。
俺は誹謗中傷野郎が木村花を自殺に追い詰めたとは思えない。
テラスハウスの製作者が木村花を自殺に追い詰めたと思える。
しかしフジテレビは自首する様子がない。

「フジテレビ、素人おもちゃにしてるよ!」
そういうこと!!!



あーそれと。
これこそ読む必要ないけど。
こんなにこの一件に思うことがあるのには理由がある。
別に木村花のファンではない。

俺はパワハラで会社を二つ辞めた。いやもっとか。
誹謗中傷とは違うが似たものを感じる。
会社はパワハラをしている人物が悪いんだとする。
会社に被害を訴えても「嫌だと思うのが悪い」と言われ何も変わらない。
被害者にとって憎しみの対象は、パワハラという構図を作った会社であり、パワハラという構図を崩さない会社である。
このまま続けたら絶対に自殺すると判断した。
だから逃げた(辞めた)。
それでいいじゃないというとそうではない。
一度逃げた人間はその性質が見すかされ「こいつに何をやってもどうせ逃げるだけだろう」となめられ攻撃を受ける。
そしてまた逃げることになる。
一度逃げた人間は一生逃げ続けなければならないのだ。
そして、今、この様だ。
俺は自殺しなかった。
だけど逃げ続ける人生となってしまった。

そういう人生なので
死ぬか逃げ続けるかという二択に追い詰められた事件についてスルーできない。
で、こんなに書いたりしたってこと。
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