これまでんとこの印象
◎森田芳光
☆三段法 或いは、3つのパートを表すメソッド。三つ互いになんらか侵食する形でストラクチャーが稼働される。
*未来の想い出 Last Christmasのテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ的展開。
*模倣犯の事件の経過、犯人側からの真相、第三の思考、のストラクチャー。
*阿修羅のごとくの、スタンダードな黒木瞳の家族、スタンダードからズレた大竹しのぶの家庭、そしてスタンダードに見えながらズレが潜在している父と母の家族。深津絵里と深キョンのコンフリクトとコントラストは愛の復元を具体的に表すものとしてストラクチャーに作動される。
*家族ゲームでは、主人公のいじめ、主人公が友人をやっつける、そして主人公の自立、へのリニアーな展開。兄とのコントラストはそこまでコンフリクトでもなく愛の帰着のきっかけになるのでもなく、エピソードとしてある感じであるが、ある意味、阿修羅のごとくの深津と深キョンの関係性の雛形ではある。(この頃はまだはっきりとしたストラクチャーとして本人も意識的ではないのだろう。)
*海猫における兄との家族生活、弟との愛の営み、そして心中がもたらす兄や娘たちの(分裂と)救済が表される。
*悲しい色やねんにおける中村トオルと彼の実家の組のこと、高嶋政広と彼の組のこと、そして藤谷美和子というカオスの登場による愛の分裂。
* (ハル)における(ほし)と (ハル)の出会いとやり取り、(ほし)の宮沢和史との出会いなどの彼女の日常と (ハル)の(ローズ)との出会いなど彼の日常、そして(ローズ)の正体とふたりの心の正体の解明
☆最終的には、解体(ないし崩壊)を通して、愛のまとまりへと帰結。
*未来の想い出 Last Christmasの死を乗り越えての愛の成就。
*模倣犯の中居の首ちょんぱ(これはあの事件を意識的に取り入れているのではないか)の後に託される赤ちゃん。
*海猫における、家族の崩壊後にミムラが再会する父親や蒼井優が触れる父母の墓に表される救済。
*悲しい色やねんにおける家族も組も全滅の後に中村を見上げるイシユリ。
*(ハル)におけるパソコン通信の世界を脱した後に出会うふたり。
*阿修羅のごとくにおける、家族の崩壊の後に生まれる再生。
*家族ゲームにおける大団円、食卓の崩壊と松田優作が船上で向き合う新しい夜明け。
☆イエ制度から抜け出している自由人。
*海猫の伊東美咲も、しがらみの渦中にいるが、弟が示唆する彼女の趣味には、そもそも自由人だった形跡が表される。それからや海猫はしがらみが表されるが、キッチンの橋爪功にしろ家族ゲームの公団住宅生活者にしろ間宮兄弟の母親中島みゆきにしろ、主人公だけではなく主人公の親自体が、しがらみからかけ離れた存在として在る。森田芳光のテクストにおいてほとんどが、しがらみからかけ離れた主人公が表される。
☆ノンアクターとのケミストリー
*俳優以外の、お笑いやミュージシャンやタレントなど、いわゆる芸能人が俳優と組み合わせられることにより、ショット内におけるケミストリーが一風変わったリズムというものを生み出す。
*未来の想い出 Last Christmasの清水美沙が求心力として存在し、そこに工藤静香、デビッド伊藤、和泉元彌が協働する。
*の・ようなものの入船亭に春風亭に楽太郎にたくさんのお笑い芸人に芹沢博文に、素の伊藤克信。
*メイン・テーマの財津和夫。
*(ハル)の宮沢和史や鶴丸。
*そろばんずくのとんねるず。
*失楽園以降はだいたいアクターで固めるが、間宮兄弟にはドラドラ塚地の起用。
◎相米慎二
☆供儀が伴われる宿命的空間
*開放的に表されながらも、或る不可避的空間に連れ去られる。
*ヤクザ世界に連れていかれるセーラー服と機関銃。
*デブの誘拐にともない仁義の世界に引き込まれてしまうションベン・ライダー。
*結婚に際してマグロ漁に魅惑に引き込まれる魚影の群れ。
*おじいちゃんの謎に引き込まれ、別離に引き裂かれる戦中2カ国の家族を知る夏の庭 The Friends。
*あ、春のツトムくんが現れる晩冬。
*すでに別居決定の家族の食卓から始まるお引越し。
☆新しい門出
*それが通過儀礼として表されているかどうか分からないが、主人公の新しい門出をもたらすものに、その宿命的空間は導く。それは全体的に、或いは、出会う直前に、夢で徘徊するような時空間として表される。
☆なんらかのしがらみと共存せざるえない状況
*家族システムから抜け出せない状況にあるセーラー服と機関銃や義理や人情から抜け出せない(或いは、デブを探しながらそれを知っていく)ションベン・ライダー。台風クラブの三浦友和も家の問題に巻き込まれ、恋人の家族が学校まで責任をとれと押しかける。あ、春における、父親を背負い込まなければいけない状況や、会社やお客を切り捨てれない状況。
*しがらみや社会の傷みを表しながら、それらはファンタジーの中に包摂される。ある種、マイクケリーのアートにも通じるような表現スタイルである。
☆長回しがつくりだすリズム
*長回しショットは、そのショット内におけるゲシュタルト変化においても、そのショットが映画全体を構成するうえでも、リズムというものを生み出す。
☆アイドル
*最初の2作品の成功ゆえアイドルなら相米だとなったのもあるかもしれないし角川映画が映画のアイドルを創成していたり歌謡アイドルが女優に転向する時期があった時代でもあったのもあろうが、相米慎二は意識的にアイドルを起用していていたのではなかろうか。ドリフやコント55号の番組に出ているアイドルなどを普通に見ていたのもあろう相米、単純にアイドルに関心をもっていたのもあるかもしれないし、また偶像という点、或いは、時代を映し出すものとしての関心を示していたりと、そうしたところからのキャスティングがあるのではなかろうか。或いはまた、偶像を逸脱するものを表したかったのではないか。三浦友和のキャストからしてそうである。野生の証明の少女とねらわれた学園のアイドルからの逸脱も表したけれど(大首絵ではないショットも多々ある作品を角川春樹はよく許可したな)百恵ちゃん映画もやりたかったのではないか。もちろん、山口三浦映画ではないものであり、三浦への第一次接触はその前の段階と計画的確信犯だったのではなかろうか。んなわけないか。
ps
加藤泰を好きな相米は義理人情をいまだ描き、アメカジを好きな森田はもはやそれにとらわれない。
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