『青の稲妻』
プラットホームと同じようにYouTubeで観る。プラットホームはフィルムだったのかな、字幕を追っていてそれがどうか意識できなかったけれど、ボワーンとした画質はフィルムっぽかった記憶だけど、この作品は字幕もなしに絵だけを追っていたから、なんとも凄いデジタル、というかビデオ映画の趣きである。でも、私生活的に皆が皆、こうした映像に慣れてる現在、こうしたものに寧ろ生々しさを感じるのではないか。ストラクチャーがうまければ、やはり作品として成立するんだな。ブレッソンやアントニオーニの影響も感じる作品だけど、若者たちの虚無感と暴走はミンリャンの青春神話ぽさがあるけど、ミンリャン以上に物語構造はなくして、カメラアイが見つめる感覚である。そう、見つめるのである。寄り添いながら見つめている。この眼差し具合がジャンク―らしさを表しているのかな。
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