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2020年08月01日10:11

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R100



『R100』
型があるように見せないのがダウンタウンの漫才やコントの型だと思うが、そのナチュラルさが売りは辛抱とロマンをマゾヒスティックに探究する。全国ほとんどのシネフィルはほとんどまったくもっての無理解者であり、その数はネプチューンほりけんに対する無理解者の数を上回るだろう。そのことが映画館ロビーに集まる映画関係者たちに表象される。人々の間に起こる無理解な協調性がそこに表され、それはロマン主義者に対峙する。ロマン主義者は自然主義を探求する。身体アザだらけに科学的に探求する。彼が向かう先は歓喜。オープニングタイトルが中盤ぐらいに表されるが、その時のストップモーション、主人公を睨む上司の眼差し、無理解な協調性が跋扈する。無理解な協調性のみならず、女王様たちも主人公に襲いかかる。コントの延長線として理解して勤しむ大森南朋かのようである。しかし、劇画タッチ顔の大森は、この漫画のような作品にナチュラルさを納得をもたせるアクトをする。渡部篤郎にピストルを投げられ渡されThank you、これまた納得をもたせる。ロマンがどんどん昇りつめていく。究極のサービスがロマン主義する。待っていました!!女王のなかの女王! ヴィスコンティの地獄に堕ちた勇者どもをも喚起させる大団円、ドッカーンドッカーンとロマンが爆発、ドッカーンドッカーンと歓喜が爆発。Mが積み重なればSになり、最大のSを迎え入れことできる歓喜となるといった、大学二年生が考えるような論法、ナチュラルである。


(ヘルタースケルターの前に書いたのです。なぜか抜け落ちていた。)
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