mixiユーザー(id:2566286)

2020年07月26日11:08

31 view

たけきよこれ論その1

 エスタブリッシュ・ショットにおける、お受験面接。それは親の勝手な判断であり、子供は行き場なく取り残されている。中盤の、赤ちゃんを交換させた看護師にお金を返すシークエンス、彼女の義理の息子が出てきて俺の母さんだからと言うところは、ストーリーテリング的にキーポイントとなる。血縁なくとも親子の愛は育まれることが表される。最終盤、父は息子を追いかける。息子の精一杯の告白、自主的に主体性あらわされる。クレーン・ショット、二つの家族は東芝の蔦屋に集う。『そして父になる』はまさにタイトル通り、主人公が父になるまでを描いたその人物の成長物語である。主人公は冷静沈着なようでありながらも、阿部寛が演じた是枝2作品の主人公と同様に生き方に不器用さを見せる(人間誰しも不器用さを持ち合わせている)。是枝テクストのほとんどにおいて、不器用な者がヒトとなるまでが表される。感情を持つヒトとなるまでが表される。結びつきにおいて大事な感受性が育てられるのである。者からヒトへ、是枝のテクストには物質から人間になるまでが描かれるのである。彼/彼女はそこで、人と人との間にある距離そのものを受け入れることができる。あるがままを受け入れることができ、家族をも超えた家族的な結びつきも知るだろう。『岸辺の旅』は逆に、ヒトであることをやめることによって見えてくるものが表される。生者と死者が共存する世界が表される。電車のなかで浅野の膝に両手を置く子供に、その世界を有する曖昧さが示される。黒沢テクストにおいて、時には遺恨であり時には未練であったりするが、愛という感情がこの世にはあり、それが忘れえないものであることは変わらず表される。ヒトは情念をもつ。世界は情念によって成る。それ故に、未練を忘却することによってしか救済はあらわされない。川は形を変えることなく流れ、そのまわりにある岸辺では情念は蠢きながら形を変えてゆく。川の先にある海、そこには解放と、旅立たなければならない場所が生まれる。深津は海を背にして日常に戻る。彼女もまた旅に出るのである。此岸と彼岸が曖昧にも、愛が定める場所として続きつながっていることを知りながら。
  影と光の明暗の分け方と、そこで生じる音/音楽。黒沢清に常に表されるもの。どの作品テーマ違いても、人物の立ち方、露出によるか照明おとすか陰影の変化、エトセトラ同じであり、不動にとても小津してる。それは北野武にも言えること。フレーム内にいる人物のシェイプ、 その男凶暴につき - ある定位置にあり。しかし『龍三と七人の子分たち』、いつになくフレーム自体あるいはその内側、ムーヴが躍動的である。最初の最初、木刀での殺陣、立ちまわりがこのご時世たたっ斬ってやるとばかりにエスタブリッシュされる。座頭市と同じように主人公は、道行き見えない闇の世界にいる。闇商売が乱用のこの社会、暴対法で行き場を失ったゾンビたちが法の網上手くかいくぐり悪事はたらく京浜連合とヴァーサスる。黒沢清と同じよう、北野武もまた聖も俗も区別なく空とする。セスナ機がつっこむ米海軍空母、権威と歴史への反駁。しかし世間ってものは闇ざかり、だからこそヤミクモに斬って斬って斬りまくるんじゃございやせんか。輪廻を解脱すること望むソナチネでは小池幸次演じるヘタレ親分が殺されたあと、死への憧憬が実を結ぶ。秋の実りに生の祝祭あらわされる座頭市では小池演じるヘタレ親分が殺されたあと、闇のなかまだ歩み続けなきゃいけないこと表される。死も生も同線上のアリア、『龍三と七人の子分たち』、鈴木慶一の奏でるバンドネオンが哀愁を帯びて流れている。
  仏教的な円的輪廻とはまた違った日本的な四季巡るかのような循環あらわし、その円環に人間たちの生き様を置いてみせる北野武である。この世界に有る情念の哀しみを言葉にあらわされない余情として奥行かせ幽玄あらわす黒沢清である。日本人的に肝心なこと遠心させてイシュー育むシャイにして奥ゆかしい社会性に、見え隠れするイビツを求心してみせる是枝裕和である。循環、幽玄、シャイと三者三様きわめて日本人的なものを表し、1867年の巴里万博以来魅了し続けるオリエンタリズムを世界中に届ける。でもって、フランス人がバカ受けするオリエンタリズムを楽しませながらも、きわめて世界的に共有するエスプリ/スピリット/ガイスト/精霊、すなわち文化なるものを顕してみせる。北野は無情/無常の世界に生きているということの暴力性、そしてその同じ地平線に生きるからこその人間の死と再生の反復を倫理的な美として描いてみせる。黒沢は世界は涅槃に包まれるがゆえ此処には愛が確かに存在すること啓示する。そして是枝は、拡がりをもてない物質型人間社会に正対する結びつきへの憧憬を顕わしてみせる。固有性のなかに人間の普遍性が抽出される。そしてそれは、ポエジーとしてあるのだ。それが精霊の意味するところ、関係性の在る世界、もののあはれをしる心はいずこいずれにおいても潜在している。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る