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2020年05月26日03:20

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自分のためだけの覚書160

今後の日本において、必要とされる思想は「赦し」の思想なのではないか。

日本人の美徳の一つに「水に流す」というものがあったはずだ。これは美徳だった。罪を憎んで人を憎まずは美徳だった。なぜなら徳に報いられることがあったからだ。それが今はなくなっている。

一度の失敗すら許さなくなっている。間違いを謝罪したとして、たたき続けないと気がすまなくなっている。相手がそうだからそうなっているのなら、今すぐ直さないといけない。

日本の伝統は何回か断絶している。漢詩がなくなり、和歌を否定し、宗教を嫌い、昔の物語を読まなくなり、過去の人の思考と行動を追体験できなくなった時、伝統は断絶する。言葉にできなくなった時、伝統は断絶する。血の通った伝統でなくなると、再び血が通うのには数百年を有する。アイヌをみよ。

常に最後最後と言われているのはそのためで、この瞬間にも何か終わりを迎えている伝統があるのだ。価値がないから消えるのではない。消されているのだ。文学雑誌に漢詩も和歌もないのはこれである。

何故なくなったか。何故ほろんだか。漢詩と和歌を守るべき思想がなかったからだ。外国からの借り物の思想で攻撃を受けたとき、守るべき思想を生み出せなかったからだ。説明できなかったからか。ではなぜ生み出せなかったのか。

いや、実はあったのではないか。生み出していたのではないか。しかし、片一方の論理を良しとして、存在を認める事、自分の言葉で言えば存在を「赦す」ことが日本人にはできていなかった。革新を行った人のみを語り、守るために動いた人を語らなかった。黙殺した。言論はあったはずなのに、押しつぶしたか。

この辺りを調べれば、何か一つ、日本思想に貢献できるのではないか。

後は不公平感だろう。人を殺すまで追い詰めておきながら、何も責任を取る事なく生き延びている人、組織があると感じる限り、赦しや水に流すという感覚は持てない。仇討ちがそうだし、忠臣蔵とかもそうだ。誰かに責任を取ってもらわないとすっきりしない。

そうなると、マスコミという事になる。コロナでいい気になって人を、世間を否定してきたマスコミ。それまで芸能人を食い物にしてきたマスコミ。ワイドショーとは下品なものと世間一般が認識するまでに至ったマスコミが、日本社会に対し、何らかの形で責任を取らない限り、あいつらもやっているのに、何で俺たちだけがという不満の温床がなくなることはないだろう。捏造報道の責任は何処に。
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