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2020年05月24日20:18

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自分のためだけの覚書157

人間は、東洋では儒教仏教によって、西洋ではギリシア・ローマ哲学とそれらを取り入れたキリスト教によって、教化された。どう教化されたかというと、「恥」と「悪」の概念を受け入れるようになった。

「お天道様が見ている」「草葉の陰から見守っている」「天知、地知、我知、子知」「天網恢恢疎にして漏らさず」「神は何時も貴方のそばにいる」・・・などなど、自分の隣に、神でもご先祖様でもいいが、常に第3者がいる。そしてその第3者が貴方の行動を見て「許されるように」「褒められるように」「恥じないように」生きるというのが、古今東西の人倫の法の根本であろう。

これらを近代は「科学」の名の下に壊してきた。そして止めなさいと指摘する存在を「言論の自由」を使って滅ぼした。結果、こういう犠牲が生まれる。

一部の人がしているという事ではない。この誹謗中傷をしたアカウントの持ち主に対し、また誹謗中傷をするようになるだろう。それは古人が認める「立派」な行いではない。

法律違反という外側からの倫理のみでは、必ず隙を縫って誹謗中傷が行われる。「恥」という概念を人々一人一人が持ち、内面から行動を拘束する倫理を持ち、かつ持っている人を「立派な人だ」と社会が認めないと、誹謗中傷は決してなくならない。

それは不良が居場所を見つけるのに近い。人は自分を認めてくれる人や組織に愛情を抱く。自分の行いが苦労苦難であればあるほど、愛情は深くなる。だから人倫の体現をしている人は、それだけ多く認められないといけないのだ。

無論、認めるという事は差を設けるという事で、差を設けるという事は道を修めているという評価基準が必要で、説明できるように論理的にしないといけない。そしてこの時、人々に分かりやすいように作る必要はなく、まずは評価人が、古典だろうが何だろうが、その人の持つ教養を隅から隅まで出し切り、形而上の概念を説明しきればよい。後はそれをわからない人が「どういうことですか」と質問していけばよい。カントはそうした。マルクスもそうなった。

だから、古典の知識がない人の教養は少なく、国語を大事にしない国は滅びるのだ。それは世代間での概念の受け渡しが行われることができなくなり、異なる概念で育ち、行動する人々が合わさって生きる事について「摩擦」が大きくなり、行動を起こしにくくなることにより、摩擦が少ない国や組織に負け、滅ぶのだ。
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