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2020年05月19日22:23

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自分のためだけの覚書155

昨今の検察関係の騒動で、芸能人などがハッシュタグをつけて批判することに対して。

意見を表明することを否定することはできないし、言ってよい。
ただし、最低限の評価基準を設けたうえで発言しないといけない。それは、発言することが許された権利ならば、同時に生まれる義務だ。

たとえ話をしよう。

貴方は家で夫、または妻の帰りを待つ身だ。または、家で待つのではなく、出先で相方に、今から帰ると電話などで連絡をした、または受けた身と思ってほしい。そして相手に貴方は聞くのだ。

自分「今晩のおかず、何食べたい?」

そして相手は答える。

相手「何か腹にたまるような、ガッとしたもの」
自分「ごめん、さすがにそれだけじゃわからない。肉?魚?中華?洋食?」
相手「うーん、決めらんない。とにかくこう、やる気になれそうなやつ!」
自分「それだけじゃ流石に・・・」
相手「あー今忙しいからきるね。とにかくそんな感じのやつ。よろしく!」

貴方はこの数日の、家庭におけるおかずの献立を思い出し、普段の会話から相方がどんな気分化を推測し、自分が食べたいと思うものとすり合わせ、おかずを決めて、夕食を迎える。

相手「おかずは何?」
自分「うなぎでどうだい?」

相手「うなぎか〜〜〜。そういうんじゃないんだよねぇ〜〜〜」

芸能人が政治にハッシュタグをつけて文句を言うのは、この相手レベルの話である。
気分は確かにそうなのだろう。ガッとしたものが食べたかったのだろう。具体的な形になっていなかったのだろう。目の前に物が出てきて、初めて分かったのだろう。

だが、だからと言って、相手が持ってきたものに対し、配慮もせず、自分が良しとする着地点もなく、その時々の気分でころころ変わる感情を基準にして、相手の推測と行動の結果の評価をする事は、果たして「立派」な事だろうか。

「うなぎか、ありがとう」
「でも、私の気分はうなぎじゃなかった」
「じゃあ、次の機会までに、自分にとってのガッと来るものを絞っておこう。次はお肉系を頼むことにしよう」

と思考を巡らし、次の機会に備えることが「立派」な事ではないのか。

政府や国会や官僚が、常にだれからも文句が出ない、完璧なものを作り上げることなどは不可能だ。それは貴方自身を思えばわかるはずだ。貴方が最も得意とする事、仕事でも趣味でも何でもいい。貴方が最も得意とする事を、貴方が行う際、常にあなたは完璧なものを作り上げられるのか。できるはずはない。そういう事である。

だから試行錯誤し、議論を重ね、繰り返すのだ。その繰り返しを行うときは、上記のように、なぜ自分が食べたいものを、相方はうなぎと判断したのか。そしてうなぎが、その時の自分の気持ちからは外れていたのならば、なぜ外れているのか。どんなおかずが「アタリ」だったのかを検討しないと、ずっと同じことの繰り返して、進歩などない事になる。

検察法改正にハッシュタグをつけて反対したなら、最低限「なんでうなぎじゃなかったのか」の説明と「次は肉系で」とまで答えないと、それは立派な行いではなく、ただのわがままにすぎない。

この「次は肉系で」まで進まないと、立派な行いとはみなされない。

さあ、「次は」まで進んでいる芸能人は、いったい何人いるかな?
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