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2020年04月08日05:08

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自分のためだけの覚書148

文学、漫画、アニメ、どのジャンルの作品においても、批評をするとき「使い古された」とか「ありきたりな」という批評がある。

これは、「同じ展開を使って盛り上がり、楽しめる作品があるのに、この作品では盛り上がれなかった」という意味でつかわれるべきであり、ただ「同じ展開」を使っているだけで批判するのは、間違いというものである。

事実、多くの作品は同じ展開だ。異世界に転移するのであれば「火星のプリンセス」があるし、宇宙人が活躍するなら、ドラゴンボールの前にスーパーマンがある。変身ヒーローなら仮面ライダーやウルトラマンだし、夜の闇で活躍するならバットマンだし暴れん坊将軍だ。

神話までさかのぼれば、物語の話型はほとんど使われている。小道具が違うだけだ。

神話の時代から、まだ私たちがはっきりと定められていないのは、「面白さ」の定義だけである。私たちは、どうなったら「面白い」と思えるのかが、はっきりとわかっていない。

だから、批評をするならば、批評をする私自身が「何を面白い」と感じたのか。その理由を、自分の心と対話し、形作り、言語化しないといけない。面白くないと感じたのでも同じである。

そして、自分の心を言語化したとして、その理由が一般化できるものか、自分一人にしか通用しないものなのかを考え、作品を批評しないといけない。

時代遅れとか、ありきたりとか、そういう理由は、個人が作品を読まない理由にはなれど、価値を決める理由にはならないのだ。
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