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2019年02月20日03:46

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自分のためだけの覚書137

凡人は共感できず、秀才は妬む──。日本で天才が育たない理由、構造を解き明かす!
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=141&from=diary&id=5503874

さて、私はこの人物の書いている書籍を全く読んでいないので、私の中にある天才の定義から、話をしたいと思う。

日本で天才が育たない、というが、それは果たして真実だろうか。

天才とはどのような存在なのだろうか。私の頭の中では、漫画とアニメという、表現の世界で、世界で誰もやらなかった、表現できなかったことを、表現してきた人物たちを、山のように上げる事ができる。

手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、庵野秀明、安彦良和、富野由悠季、宮崎駿、鳥山明、あだち充などなど、漫画・アニメ界において、天才と呼べる人物は果てしなく上げる事ができる。

商業においてはどうだろうか。アップルのスマホの印象が強すぎて、日本発の製品という物のイメージができないのだろうか。
VHSを知る人は、もういないのだろうか。ビデオテープは、日本の発明品であった。大本として、アメリカのアンペックス社が開発したものだが、それを改良し、ビデオテープにしたのは、日本だった。
DVDを発明したのは、日本である。
フロッピーディスクも、日本である。
乾電池も、日本の発明である。

日本では天才が育たないというが、本当に育たないのなら、上記の発明品は、どうして生まれたのだろうか。

一つは、天才など生まれなくても、社会に何の問題はない。発展するし、成長するという事である。

そうでなければ、日本は、天才を生む土壌があるし、育つという事である。

いいや、DVDを発明したというのは、天才ではない。乾電池も、天才の発明とは言えない。漫画・アニメの表現方法の発明も、天才の行いとは言えない、というのなら、
「いったいどういう行いなら、天才の行いと言えるのか」
という事を言わないといけない。

もし、天才の定義を「新しい概念」を生み出す、または創りだす人物としているならば、それは近視眼的で、はっきり言えば、「見る目がない」天才の定義である。その程度の定義しかできない人間が、天才とはとか言い出すのは、滑稽としか言いようがない。

新しい概念を生み出す存在。確かにその通りだろう。しかし、そのような存在は、社会のいたるところに、千差万別に存在しているのだ。タブレット端末を世界で最初に開発したのは日本人だという事を知っているか?

それらをもって、世界のトップに立てなかった。世界の経済を牛耳ることができなかったのをもって、天才なんていなかったというか? 阿呆が! 世界で日本だけがトップでいられるはずがなかろうが!

ずっとトップでいられるはずはない。産業革命以降、世界の経済のトップでいつづけた国は、存在しないのだ。アメリカですら、日本に負けていた時期があったのだ。天才を生み出して、自由にさせて、人生を謳歌させられるはずのアメリカでさえ、日本に負けていた時期があったのだ。

それを知ってか知らずか、昭和のころから言われ続けている話を、また繰り返す。
まだ問題として残っているというならいいが、果たして本当に解き明かしたという構造は、あっているのか?

非常に疑問である。

私は、解き明かすぞとか、解き明かしたとか言っている人物の説が、実際の現場において、採用された例をついぞ知らない。
頭でっかちの人間の、机上の空論に過ぎないのではないかと、眉に唾して聞く。
他にも山ほど疑問はあるが、昭和50年以前から言われていることの、巻き戻しに過ぎないのではないか。シールズのような、新しい世代の古い左翼のような、単なるリバイバルに過ぎないのではないかと疑問に思う。

無論、今の日本経済に問題がないとは言わない。しかし、私は何十年も、日本では天才が育たないという言説を聞いて生きてきた。
そういう言説を読めば読むほど、現場を知らず、実際を知らない、机上の空論を述べているに過ぎないことが多かった。
この人物の説は、果たしてどのようなものだろうか。

他の日記も、つぶやきも、一切見ないで書いた、日記である。
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