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2020年02月20日20:48

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3Mの思い出

今から38年前の1982年(昭和57年)2月8日に私は、米国ミネソタ州のミネアポリス・センポール空港に(ミネアポリスを本拠地にしていた)ノース・ウェスト航空(2010年にデルタ航空に吸収され消滅)で日本から到着しました。

空港には国際共同事業契約の交渉相手で有る米国3M(スリー・エム:売上高3兆円、従業員数9万人の、米国を代表する世界的コングロマリット(複合)企業)のトローチ取締役(笑)とハゲマーク取締役(笑)が迎えに来てくれていました。

お二人共、変な名前ですが、ご先祖が北欧のスカンジナビア諸国からの移民なので、こんな名前なのです。因みに、ミネソタ州は、カナダとの国境に近い中西部の州ですが、故郷と風土が似ていると言う事で多くのスカンジナビアの人達が住み着き、開拓した州です。(因みに2000年の首都ミネアポリス市の人種構成は、ドイツ系16.5%、ノルウェー系9%、アイルランド系6.9%、スエーデン系5.8%等と成っています。)

私がミネアポリス・セントポールと言う珍しい双子都市(ツイン・シテイ)を訪問した年月を詳細に覚えているのは、3M訪問が大変興味深い物だった(詳細は後述)事に加え、訪問した翌日の2月9日に、日本で、羽田沖の日航機墜落事故が起き、そのニュースを3Mの役員食堂のTVで昼食時に見たからです。

まず、3M訪問の話から始めますと、当時私は、米国3M社と仏国トムソンCSF社と私の会社の3社による業務用ビデオディスクの国際共同事業の契約内容を詰める為に3M社を訪問した訳です。

因みに、各社の役割は、3M社が、仏国トムソンCSF社が開発した透過型ビデオディスク(盤)の製造と業務用ビデオディスク・プレーヤーの米国での販売、仏トムソンCSF社が、透過型ビデオディスク(盤)と、その専用プレーヤーの開発と欧州での販売、私の会社がトムソンCSF社が実用化で苦慮していた透過型ビデオディスク・プレーヤーの改良・実用化と製造でした。

この当時、ビデオディスク・プレーヤーを実用化していたのは、光学反射式を開発したオランダのフィリップスの米国子会社のマグナボックス社と静電容量方式を開発した米国のRCA社、そしてフィリップスの光学反射式を採用していた日本の私の会社とパイオニア社位でした。

光学反射方式も静電容量方式も両面再生をする為には、ディスクをひっくり返す必要が有り、その点が欠点でしたが、仏国のトムソンCSF社は透過式(読み取りレーザー光をディスクの反射膜で反射するのでは無く、透過型の薄いディスクを使って、読み取りレーザー光の焦点を手前(表面)に合わせるか、奥(裏面)に合わせるかを調整する事によって、ディスクの両面を連続して再生出来ると言う画期的な物でした。

アイデアは良かったのですが、仏国トムソンCSF社は国営の軍事企業(日本で言う、三菱重工とNECの軍事部門を合わせた様な会社です。)で、民生品の製造経験が無く、製品化に苦慮していたので、透過型ビデオディスク盤の製造を米国3M社が、そしてビデオディスク・プレーヤーの製造を日本の私の会社が助ける3社による国際共同事業と言う事に成った訳です。

3M社との初の会合と言う事で私は、初めて本社の有るミネアポリス・セントポール市(前述の通り、双子都市です。米国には、もう一つ、ダラス・フォートワース市と言う双子市も有りますが、一般的に米国人がツインシティーズと言ったら、それは、ミネアポリス・セントポール市の事を指すのだそうです。)を訪問したのですが、一番厳しい冬の時期と言う事で、気温は最高気温が摂氏プラス2度、最低気温が摂氏マイナス30度と言う寒さで、5分と外に出ていられませんでした。後にも先にもマイナス30度を経験したのはこの時が最初で最後でした。(笑)

国際共同事業の契約内容を詰めるていた到着2日目にトローチさん、ハゲマークさんの両取締役と役員食堂で昼食を取っていると、食堂のTVで羽田沖で日航機が墜落して、多くの死傷者が出ていると言うニュースが流れて来ました。

何が起きたのかは、インターネットの無い時代なので、詳細は、日本に帰って、溜まっていた新聞を読む迄、分かりませんでした。帰国後、新聞記事で、墜落事故が、片桐清二機長(当時35歳。偶然にも、私と同い年でした。)が心身症を発症して、起こした逆噴射による物だと言う事を知り、愕然とした物でした。(当時「機長止めて下さい」と「逆噴射」と「心身症」は流行語に成りました。)

後で分かった事ですが、片桐機長(現在は、裁判で精神病を理由に無罪判決が出たと言う事で、マスゴミ等では、K氏としか表現されません。24人の死者と149人の重軽傷者を出したにも関わらずです――。)は、心身症では無く、精神分裂症(現:統合失調症)で、しかも、その症状は、事故を起こす6カ月も前から既に発症していたと言う事で、当時の運輸省航空局と日本航空の航空身体検査(パイロットは操縦ライセンス以外に航空身体検査合格証が無いと飛行機は操縦出来ません。事業用パイロットは6カ月に1回、自家用パイロットは2年に1回、厳重な精密検査が有ります。)体制の杜撰(ずさん)さが、この悲劇を起こした根本原因でした。

話を3M社に戻すと、この日航機の事故の有った日の夜、トローチ取締役が自宅のディナーに招待してくれて、彼の自宅で夜遅く迄、色々語り明かしたのですが、この時の話が非常に面白く、今でも鮮明に覚えています。

まずトローチさんが私に「何故うちの会社の名前が3Mなのか知っていますか?」と聞いて来たので、「元々の社名がMinnesota Mining & Manufacturing Co.(ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリング社=ミネソタ鉱業)と言う長い名前なので、その略称が現在の社名に成ったのですよね。」と日本で調べて来たミニ知識を披露すると、「違います。本当の社名はMaking Many Mistake Company(失敗だらけの会社)もしくは、Meeting and Meeting and Meeting Company(会議だらけの会社)です。」とトローチさんが真面目な顔で、アメリカン・ジョークを飛ばしたので、大笑いしてしまいました。

更に「日本から乗って来られたノースウェスト航空はいかがでしたか?」とトローチさんが聞くので、ミネアポリスが本社の航空会社と言う事は分かっては、いたのですが、「スチュワーデスのサービスは最低だし、機内食はまずいし、日系や欧州系の航空会社に比べるとアメリカの航空会社は、サービスの質が落ちますが、その中でも最低クラスですね。」と機内で起きた不愉快な事例を並べながら感想を言った所、「あれ、ノースウエスト航空の本当の名前を知らなかったのですか?私達は、あの会社は、North West(ノース・ウエスト=北西)では無く、North Worst(ノース・ワースト=北の最悪)と呼んでますけどーー。」とこれ又、想定外の、きついアメリカン・ジョークで、「地元の人にノース・ワースト言われちゃ、お仕舞いですね!」と大爆笑してしまいました。

3Mと言う会社は、「Scotch」ブランドのセロテープやポスト・イット、プロ用の録音テープ等で日本でも有名なので、皆さんご存じかと思いますが、今なら、N95防塵マスク(PM2.5を防げるマスクで、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で中国人が争そって買い求めているマスク)が一番有名かも知れませんね。

3Mは、「15%ルール」と言う面白い経営手法で世界的に有名です。これは、従業員が勤務時間の15%を日々の仕事にとらわれ無い活動に充てる事を許すと言う物です。

この15%ルールを活用して新製品を開発して事業部長に成った従業員が一杯います。有名なのは、ポストイットを開発して事業部長に成った人ですが、他にも、豚のオス・メスを区別する為に耳に付けるタグを開発した「豚の耳タグ」事業部長等、ユニークな人材が一杯、揃っています。

成功の陰には、その何倍の失敗が有る訳で、それが、トローチさんが言う所の「我社の本当の名前は、Making Many Mistake Company(失敗だらけの会社)もしくは、Meeting and Meeting and Meeting Company(会議だらけの会社)です」と言うジョークの本当に意味する所なのです。

サントリーの創業者、鳥井信治郎は、どんな苦境に陥ち込んでも、自身とその作品についての確信を捨てず、そして、たたかれても、たたかれても、生き生きした、破天荒の才覚を発揮し続けた人で、 それを最も端的に伝える言葉として、彼が事有るごとに、社員に口にしたのが「やってみなはれ」です。サントリーには、創業して100年以上を経た今もなお、冒険者としてのチャレンジング精神が会社のDNAとして、生きていますが、60年連続増配のエクセレント・カンパニー、3Mの「15%ルール」は、正にアメリカ版の「やってみなはれ」な訳です。
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