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2015年01月23日00:51

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2015-01-11_東京初詣2015

恒例の都内の神社巡り、
フォトフォトフォト
集合前に皇居付近をぶらぶらしてからスタート。
そのなかで気になったことがある。
北千住七福神が全部神社だったのだ。
あれ?七福神ってお寺じゃなかったっけと思ったがよくよく考えてみると神さまも仏様もまざっているなと思い調べてみる。

恵比寿
イザナミ、イザナギの子の蛭子。漁業の神から商売繁盛、五穀豊穣の神に
事代主神、漂着したクジラなどに由来も

大黒天
ヒンドゥーのシヴァ神の化身マハーカーラ→仏教で大黒天に。音が通じるため大国主命と習合

毘沙門天
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ヒンドゥーのクベーラ(財宝の守護神)→仏教の毘沙門天(四天王の一尊としては多聞天)
千住七福神では八幡神社にあった。武神つながりか?

弁財天
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ヒンドゥーのサラスヴァティー→仏教で弁才天
神仏習合で宇賀神と習合。宇賀神は宇迦之御魂(お稲荷様)が由来。
神仏分離で神社と寺に別れ、両方で祀られる。
弁天様でパッと思いつくのが江ノ島と不忍池だけど神社とお寺だった。

福禄寿
道教の宋の道士、天南星。または道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一視される。

寿老人
道教の神で南極星の化身の南極老人。白鬚明神としても祀られる。

布袋
唐の末期の明州に実在したといわれる仏教の禅僧。弥勒菩薩の化身ともいわれている。

由来はバラバラ。
大黒を台所の神として祀ることを最澄が比叡山で始め、それが徐々に民間に広まる。
別々に信仰されていた7つの福の神を集め、七福神とした。
当初はメンバーが定まっていなかった。(宇賀神・達磨・ひょっとこ・楊貴妃・鍾馗・不動明王・愛染明王・白髭明神などが入っていることも)
要するにおめでたい物をまとめて拝んでしまおうということ。
各神も、神仏習合と明治の神仏分離を経て神としても仏としても祀られるようになっている。
今まで神さまだと思っていたものも、明治以前は仏様として祀られていたりしていることも多い。
同じ神社でも祭神が違うと全く違う信仰のがあり同じ宗教でくくるのは無理があると感じた。
※神仏習合 神道と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系となったもの
※神仏分離 神道国教化の下準備として神仏分離政策を行ない、仏教排斥が意図ではなかったが、廃仏毀釈運動がおこり、全国各地で寺院や仏具の破壊が行なわれた。
神仏習合から、神仏分離までの流れは↓ここがものすごくわかりやすい
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88

実は初詣に何箇所も神社めぐりをするのは逆にバチアタリなのかなと思ってもいたが、神社巡りをキャンペーンにしていたりもしていたので、悪いことではないようなので安心した。

以下、多くある神社と、気になったものの由来を調べてみた。
各地に分社があるのは、総本社に参るのが難しいために地元にその神を勧請(分霊を他の神社に移すことを)したため。

「平将門の首塚」
神田明神の宮司が祭主、神田明神の三の宮には平将門が祀られる。
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないといわれている。成田新勝寺で将門征伐の動護摩の儀式を行ったのが由来

「天祖神社」
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祭神 天照大神
総本社は伊勢神宮内宮
神明神社、神明社、皇大神社とも

「浅間神社」
祭神 富士山の神格化及び木花咲耶姫命(別称を「浅間大神 (あさまのおおかみ)」)
総本社は富士山本宮浅間大社

「富士塚」
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江戸にいながら霊峰富士山に登ったご利益がもらえる。(そもそも明治になるまで女人禁制だった)
頂上には浅間神社が祀られる。
7月1日のみ登っていいです。と書いてあったところがあったが、富士山の山開きの日だからだそう。

「諏訪神社」
祭神 建御名方神、八坂刀売神
総本社は諏訪大社
諏訪では土着神だったミシャグジ(御石神)神が建御名方神と習合、同一視される。
軍神、狩猟神として崇められる

「水神社」
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祭神 神社によってバラバラ
主に水に関する(河川や農業)場所などに。
水神さまが由来になっていることも。今回巡った中では隅田川神社が昔は水神社だったという

「厳島神社」
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祭神 市杵島姫神(イチキシマヒメ)
総本社は安芸の宮島の厳島神社
芸能や海運、商売などにご利益

「氷川神社」
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祭神 須佐之男命、稲田姫命、大己貴命(大国主)
総本社は大宮氷川神社
全国にあるのかと思ったら関東(荒川流域)中心だそう。
ヤマトタケルの東征経路、8世紀に出雲族出身の无邪志国造(むさしのくにのみやつこ・武蔵国東部を支配した国造)が開拓したと伝えられる地域と分布が一致している。
氷川の名前の由来は出雲の「簸川」(現在の斐伊川)という説がある。
荒脛巾神が氷川神社の地主神で先住の神だとする説も。

「八幡神社」
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祭神 八幡神(やはたのかみ、はちまんじん・応神天皇の神霊)、比売神(宗像三女神、多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命(たぎりひめのみこと))、神功皇后(応神天皇の母)
総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮
清和源氏をはじめ全国の武家から武運の神として信仰

「稲荷神社」
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祭神 宇迦之御魂(神稲荷大明神)
総本社は伏見稲荷
本来は穀物、農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰。
名前の由来は稲が生った。
仏教の荼枳尼天(狐に乗る)と同一視され、仏教寺院でも祀られる(豊川稲荷など)
別名の御饌津神(みけつのかみ)に「三狐(狐の古名が「けつ」)神」と当て字されたことから狐が稲荷神の使いに。そのために狛犬の代わりに白狐。
稲荷大神様が狐なのではない。
油揚げをお供えするのは鼠の天麩羅(狐の好物)の代用品。

「白鬚神社」
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祭神 猿田彦
総本社は滋賀県高島市の白鬚神社
天孫降臨の際に道案内をしたことから、道の神、旅人の神とされ、道祖神(塞の神)と同一視されるように。
自転車のお守りを売っていたのも納得。
墨田区の白鬚神社は隅田川七福神の一つで、寿老人を白い髭の長寿として白髭大明神にあて寿老神として祀る。

「日ノ出神社」
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祭神 倉稲魂神(素盞雄尊の御子)
明治に荒川放水路の工事で明治時代に他の神社に合祀されたが戦後に分離独立。
開閉式シャッターの屋根がある変わった神社だったがそれに対する由来は不明

「八紘一宇」の石碑
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神武天皇の言葉が由来。
八紘=天地を結ぶ8本の綱=世界。一宇は一つの家の屋根で、道義的に天下を一つの家のようにするという意味。
簡単に言うと人類みな兄弟だから仲良くやっていこう。といった感じ。
大東亜戦争のスローガンに使われ、戦後GHQに侵略を肯定するようなネガティブな意味で捉えられたりもしたが、戦前戦中に関してだけいっても、ユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動やアジア諸国の植民地支配からの開放など、少なくとも悪い事だけではない。
これらの石碑が何時の時代、何を思って建てられたかでニュアンスが変わってくるのかもしれない。

○修験道ルーツ
※修験道 山岳信仰と仏教が習合、神と仏がともに祀られる(権現)
※権現 日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号(ミコト)
山岳信仰が由来の神社でも御嶽神社と三峰神社は修験道がルーツにあり仏教色が強く浅間神社とは多くく意味合いが違う。日暮里の諏訪神社内に御嶽山神社と三峰神社があってなんで浅間神社がないんだろうと思ったが、そもそものルーツが全く別物なのだから当然なのだろう。

「御嶽神社(みたけじんじゃ、おんたけじんじゃ)」
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祭神 修験道の神である蔵王権現(インドに起源を持たない日本独自の仏、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現した)。神道においては大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合。
総本社は金峯山寺蔵王堂
神仏分離に際して御嶽神社、金峰神社、蔵王神社などと改称。

「三峰神社」
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以下秩父の三峯神社について
祭神 伊弉諾尊、伊弉册尊など
役小角が三峰山(白岩山、妙法山、雲取山の総称)で修業をし、空海が観音像を安置
中世以降、修験道場となって、関東各地の武将が崇敬
江戸時代、一帯に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるように。
元は三峯大権現、明治に神仏分離により三峯神社に。

「白山神社」
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祭神 伊奘冊尊
加賀国、越前国、美濃国(現石川県、福井県、岐阜県)にまたがる白山に関わる山岳信仰。
かつては白山権現(十一面観音の垂迹である九頭龍王が自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したのもの)を祀るが、明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって修験道に基づく白山権現は廃社

「秋葉神社」
祭神 秋葉権現(秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神、観音菩薩を本地仏)
総本社は秋葉山本宮秋葉神社

○仏教色が強い
「日枝神社」
祭神 大山咋神、大物主神(大国主)
総本社は日吉大社
山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社、猿を神の使いとする。
山王信仰とは比叡山の守護神として鎮座していた日吉大神(日吉大社の全ての神様の総称)を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰。
日吉大社では明治の神仏分離で廃仏毀釈の先例になり延暦寺と確執が出来たが、現在では和解しているようだ。

「熊野神社」
祭神 熊野十二所権現権現として祀られている仏教的要素が強い神社
総本社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)

○民間信仰
「月待塔(つきまちとう)」
民間信仰。十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの夜に「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払ったという。
供養の記念として碑を建てた。
神仏混交の時代には三夜さまとして月読尊を祀ることも

「道祖神」
男女一対の夫婦の姿が彫られているものは猿田彦神とその妻の天宇受売命
神仏混合で、地蔵信仰とも習合
集落と神域分かち禍を招き入れないための結界。
奥の細道で旅に誘う神様として冒頭に登場したことから旅や交通安全の神として信仰される。

「庚申塔」
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中国道教を由来とする民間信仰、人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の三尸虫が天に登れないようにするため集まって神々を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かす庚申待を3年18回続けた記念に建立されたもの。
仏教での本尊は庚申信仰の中で独自に発展した尊像、青面金剛(ヴィシュヌ神または馬頭観音を由来とする説も)。悪事を見聞きせず、話さない三猿と共に表されることが多い。
神道では猿田彦神。「猿」の字が「庚申」の「申」と、塞の神と同一視されたことから「幸神」と書いて「こうしん」とも読んだことから結び付けられた。
山王信仰(三猿信仰)もここから生まれたとされる。

「馬頭観音」
馬頭観音は変化身の一つで梵名はヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌの異名でもある。
馬にちなみ、教義とは離れ死亡した荷役馬や農耕馬の供養のためにたてられた。

「牛頭観音」
仏教では存在しない。
馬頭観音からの派生で牛の供養のためにつくられた。
牛頭天王が由来だとすれば、京都祇園社の祭神で素戔嗚尊と同一視できる。

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ラストは浅草でアサヒスーパードライ エクストラコールドを頂きました。
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