mixiユーザー(id:25239329)

2020年06月02日21:56

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意味不明だが…

自分なりに思うことを書いてみます。
トリエンナーレは「表現の自由」の典型事例です。

表現の自由って言葉は使われますが、要するに政治的批判の自由なんですよ。
これは一番制約されやすい。今回もそうです。
ちなみに中国にはないですよね。
日本の方が中国より自由が進んでいるという話(のハズ)なんです。
だから残念でした。

次に、公金支出の話が出ますが、表現行為を国や自治体が認める点で内容審査はしません(してはいけない)。だからこれも自由な国家である以上は当然認められます。

個人的には、トリエンナーレを実施する側の職員を誹謗中傷から守れなかった点、作品展示を守らなかった点で不満が残ります。

今回の騒動で思うのは、一定の価値観を認めないという強迫的な風潮を感じることです。
『国』の象徴である天皇を自身や肉親のように感じる事にも怖さを感じます。
仮に『日本国』に対する批判をされたとしても『日本人(個人)』に対する批判では無いんです。国家と個人を同一視してしまう感覚にも違和感があります。

日本だけではなく、(影響力のある)アメリカや中国もそうですが、多様性を認める寛容な社会であってほしいと思います。

■愛知知事のリコール呼び掛け=「不自由展」問題視―高須クリニック院長ら
(時事通信社 - 06月02日 17:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6104822
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