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2020年03月11日09:19

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【3・11】自分も被災する中、己の命をかけて人々を救い続けた男たち

■人口34万人流出、避難なお4万人超 東日本大震災9年
(朝日新聞デジタル - 03月11日 00:08)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6004223



2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。あの未曽有の大地震とそれに続く津波は東北一帯に大災害をもたらしたが、それは自衛隊の駐屯地も例外ではなかった。宮城県陸上自衛隊多賀城駐屯地も、航空自衛隊松島基地も津波に飲まれ、施設は甚大な被害を負う。基地の近くに住む隊員たちも当然ながら津波の被災者となり、一時は70名近い隊員が行方不明となっていた。のちに分かった事だが、この70人は津波の被害のなかにあっても自衛隊員としての使命をまっとうしていた。

例えば、有馬勝彦二曹は自宅から多賀城駐屯地に向かう途中に津波の濁流に飲まれている。東北の海から流れてきた冷たい濁流に翻弄されるなか、有馬二曹は近くにおばあさんが流されているのを発見、とっさにおばあさんの襟元を掴み、水に沈み込まないように右手で上げたままの状態で立ち泳ぎを始めている。この時、助けられたおばあさんこと佐藤洋子さんは「私はもうダメだから先に行って」と告げたという。しかし、有馬二曹は「そんなことを言うな。あきらめるな」と言って佐藤さんを支えながら濁流に流され続ける。さらに、有馬二曹の目は溺れかけている男性の姿も捉える。彼はやはり、とっさにその男性の襟元を掴んで、バンザイのような形をしながら立ち泳ぎで濁流の中を流されていったのだ。この時、幸運だったのは有馬二曹がダウンジャケットを着ていたことだった。ダウンが浮き輪がわりになり、両手が塞がった状態でも沈むことはなかったが、さすがにこの状態では長くはもたない。どこか、休める場所がないかと探すなか、有馬二曹の足は2階家屋の屋根を捉えた。そのままその家屋に這い上がると、家の中には家人もおり、3人は事なきを得たのだ。

ところが、そうやって落ち着くと家の外から「助けてくれ」という悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。外は雪が降りしきり、間もなく夜になるという時間帯。いま屋根の上に逃れている人々はほとんどがびしょ濡れで、夜になれば凍死してしまう可能性もある。有馬二曹は「気になる」と言って皆の制止を振りきって被災者の救済に出て行ったのだ。この時、幸いしたのは外出していた家族が材木を筏代わりにして戻ってきたことだった。この筏を使って有馬二曹は屋根や車の上に避難していた人たちを次々に救出、18人を救助したのである。

勿論、こうした救助活動をしていたのは有馬二曹だけではない。上原直樹三佐も濁流に飲まれながらも若い男の子を抱きかかえて、土手まで泳ぎきっている。しかも、その土手から車の上に取り残されていた女性を発見、上原三佐は再び、冷たい濁流の中に飛び込んで女性を救い出し、土手まで戻ってきたのだ。しかし、それで一息つけたわけではない。その土手も次第に水位が増し、いつまでもいられない状況となる。見れば、近くに避難できる建物があり、そこには人もいる。上原三佐はぐったりする高校生を抱えて、3度水に飛び込み、建物まで泳ぎきったのだ。そして車から救い出した女性も助けるべく、もう一度、濁流に飛び込むも土手まで戻ったところで完全に力尽きてしまう。雪解けのように冷たい濁流の中に何度も飛び込んでいるうちに体温も体力も奪われてしまったのだ。この絶体絶命の危機を救ったのはやはり自衛官だった。建物側に居た自衛官がその様子に気づき、濁流を泳いでゴムボートを探し出し、土手に居た女性と三佐を救って建物まで戻ってきたのである。

自分も被災しているにもかかわらず、正真正銘、命懸けで人命救助をおこなっていたのが自衛官たちであった。彼らは全員口を揃えて言う。「自分たちは国民の命を守るのが仕事だ」と。その使命を誰もが当たり前のようにまっとうしていた。事実、夜になって、彼ら自衛隊員たちは本隊からの救助によって被災者とともに基地に戻ることができたが、休むことなく、迷彩服に着替えて、当然のように救出任務についている。

私たちはよく「救助は自衛隊の任務」と簡単に言ってしまうが、隊員たちにも当然、両親や妻子がいる。だから、彼らだって本当は真っ先に家族の安否を確かめたいのだ。しかし、いったん任務を帯びたら勝手な行動は許されない。彼らは皆、家族が無事なことを心の底から祈りながら被災者の救出という任務につくのである。いや、被災者の救出だけならまだいい。救出作業中、どうしても目にしてしまうのが御遺体だ。そのなかには女性もいれば、幼い子供もいる。そういった御遺体を見れば、連絡のつかない家族の事を思わないわけがない。誰もが消息をつかみたいと思うだろうが、そういった思いをも噛み殺して粛々と任務に励んでいたのが自衛官なのである。



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