mixiユーザー(id:25109385)

2013年05月11日18:52

270 view

『税金』といふ言葉に就いて思ふ事

 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

 『Motion1金管楽器・A brass instrument 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

 映像は岡山懸にある、

 『和氣の藤祭り』

 へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。






      『税金』といふ言葉に就いて思ふ事


 國家といふ組織には『税金』といふ制度(システム)が當然(たうぜん)のやうにあつて、國民である限りは納税の義務が課せられてゐる。
 その行爲(かうゐ)で自分も含めて多くの人の役に立つのならば、則(すなは)ちその資金で國土が整備されたり國民の生活が潤(うるほ)ふ一助になるのならば、さうして多くの人が一定の地域に集まつてそこで生活の基盤を築いてゐるのを大雜把(おほざつぱ)な定義で國家と呼ぶのならば、その國に金品を収める事には吝(やぶさ)かではないのだが、本當にさうなつてゐるかといふ所に疑問を抱いて納税する事に躊躇(ちうちよ)して仕舞ふのである。


 それは何故さう感じてしまふのかといふと、新聞やテレビや雜誌などの樣々な報道媒體を通じて背任行爲や賄賂の不祥事を見聞きしたりして、それが決して一部の事だけでなく、表面に現れたのは氷山の一角ではないかと懸念されるからであるが、では、さういふ事がどうして起つてしまふのかといふと、そこにはいろいろな問題が横たはつてゐて一筋縄ではいかないのは解つてゐるが、その一つとして、

 「税金」

 といふ言葉を使用してゐる事が一因にあるではないかと考へてゐる。


 抑々(そもそも)「税金」は「租税」と云つて、七世紀末頃に始まつた律令制における「租庸調制」と呼ばれて「課税・徴税・納税」をしてゐたが、それ以前にも三世紀頃に『魏志倭人傳』に卑彌呼が支配する邪馬臺國で税が納められてゐたと記載されてゐる。
 が、更に遡れば人類が地球上に誕生した約二百万年前に、聚落(しゆうらく)を形成して共同社會を作り、狩獵時代から放牧時代を經て農耕時代に入つて地域に定着し出して、思ひ通りにならない自然に對した時、原始宗教(アニミズム)における神に對して貢物を供物として捧げ、而(しか)も感謝よりも畏怖心から發生したのが原型ではないかと愚考するのである。


 その神の上前をはねた狡賢(ずるがしこ)い一部の者が、その代理を務める事で貢物を捌く權利をまんまと手中に治め、自らを神の憑代(よりしろ)として、

 「従はない者には神罰が下る」

 と恐怖による被暗示性管理(マインド・コントロオル)で操り、一方で一部の取卷きにもその甘い汁の一部を與(あた)へる事で利權を確保する事と、その潤澤な資金を手にして武力も充實させて、智能から武力による強制力を強化して階級制度(ヒエラルヒイ)の構築を成功させ、かくして貧富の差が生じて支配する者とされる者、則ち支配階級と被支配階級の關係が出來てきたのではないかと考へられる。


 凡(およ)そ國家とは、人が集り出して聚落から村へと發展し、今日の行政區劃に從へば「町・區・郡・市・懸」へと規模が大きくなつて國となつたのであるから、人が集るから國家があるのであつて、國家があるから國民がゐるのではない。
 歴史はその國を私(わたくし)する支配者同士の權力爭ひで、播磨の國や尾張の國のやうなそれぞれが支配する國同士が戰爭をして、別れてゐたものが統一されて日本といふ大きな國となつたので、權力者が統治するといふ形態は大きく變る事はなかつた。


 更に言へば、支配者による國の行政區劃は秦の始皇帝(前259-前210)の例を持出すまでもなく、我が國の豐臣秀吉(1537-1598)が行つた「檢地」や「刀狩」でも知られるやうに、權力者が税を漏れなく徴収できるやうにと民を管理支配する爲のものでしかなかつた。
 「税」にはさういふ經緯(いきさつ)が附いて廻つてゐて、「税」といふ言葉を使ふ限り、搾取される側の存在と搾取する側の存在とが無意識の内に仕組(システム)として作動してしまふやうに感ぜられるのである。


 とは云へ、人が集團となつて一定の地域で生活を營まうとする時、必ず公共のものが要求されるのもまた事實である。
 それは例へば自分の住居の前の道路一つをとつても自分の前の通路だけを個人の資金で整備すれば良い譯ではなく、住居と住居の間の人が住まない處も整備して繋げておかなければならず、その爲にはその地域の人が人員を驅出して事に當らなければならない。


 その時、公平を期する爲に全員が作業に出なければならず、出られない者は他のそれに値するもので補はなければならなくなり、それならばと素人達が作業に從事せず、金錢を供出して專門の職人に任せた方が効率的であるといふ考へに移行して行つたに違ひなく、かくて税金をといふ事になるのだが、この『税金』といふ表現が問題であるといふ事は既に述べた通りである。


 そこでなんと命名すれば納得できるのかといふと、これが中々に難しく、

 「公金」

 といふのも主體が曖昧としてゐて手垢がついてゐるし、

 「皆金」

 だと、これもまた使ふ時に國民の顏が希薄に感ぜられまいか。


 そこで提案すれば、

 『民金』

 と命名すればどうか。
 さうすれば権力構造が變はつた筈なのに、未だに民によつて選ばれたにも拘はらず、國會議員が領主と勘違ひをして自分の爲に税金が納められたと思ふやうな事はなくなるのではないか、と夢想してしまふのである。


      二〇一三年五月十一日午後六時四十五分店にて記す


3 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する