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2011年09月25日09:21

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光と時間

 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

 『絃樂器(strings)』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。






     光と時間

 
 新聞によると、

 「光より速い素粒子」

 が觀測されたさうである。
 さうであるといふ言ひ方をしたのは、

 「実験の精度がGPS頼りであることなどからデータの信頼性を疑う声もある」

 といふ記事もあつたからであるが、もしこれが事實だとすると愛因斯坦(アインシユタイン・1879-1955)の特殊相對性理論との矛盾を解消する爲に、新たな理論を構築しなければならなくなつてしまふ。


 特殊相對性理論では、空間や時間(これ を「時空」と言つてゐるが何もこんな新しい言葉を使はなくても『宇宙』といふ立派な言葉がある)、光の關係を解き明かしたが、そのひとつに。

 「質量をもつ物は光の速度を超えられない」

 といふものがあつて、それが今囘の觀測結果でこの理論が覆(くつがへ)させられるかも知れないのである。


 光速を超える事が出來ると、それまで光速に近い速さで動く物體は時間の進み方がゆつくりになつたり、距離が縮んだりすると考へられてゐたのが、光速で時間の進み方は零になり、更に光速を超えると時間は逆に進んで遡れるのではないかと考へられるといふのである。
 さうだとすれば、タイムマシインに乘つて過去への旅も夢ではなくなる筈だと妄想は膨らんで仕舞ふ。


 しかし、そんな短純な話なのだらうか。
 大體、時間が年表のやうに過去から未來へ秩序よく竝んでゐると思ふのが可笑しいのではないか。
 人間が便宜上に作つた西暦や元號に合せて、目盛りを廻せば設定したその時代に行けると思ふのならば、お氣樂な事この上ない。
 確かに、光が一定方向に進んで行けば時間は經過するだらう。
 だが、過ぎた所へ戻つたからといつて其處が過去であると、どうして理解するのか。
 第一、二〇〇〇年代に生きてゐる我々が過去や未來に行ける機械を作るより先に、未來人が現代へ來てゐなければ可笑しいではないか。
 かう言へば、氣がつかれないやうにきてゐるのさと御定まりの説明(コメント)が返つてきさうだ。


 人間は生活の基準を得る爲に、夜が來てやがて次の朝を迎へて一日とし、春から冬に至るまでの四季を一年と考へ、一日は地球が自轉を一囘した事で、一年は太陽の周りを地球が一囘公轉した事だと、觀測するといふ科學的な行爲によつて理解を深めた。
 けれども、これらは嚴密には一日は二十四時間でもなければ、一年は三百六十五日でもなく、人間の都合の良いやうには定まつてはゐない。


 たとへ光より速い物質が發見されたとしても、それほど大きな問題になるとは思はれない。
 なぜなら、宇宙で最も速いのが光だつたから、時間を規定するのにそれを基準としただけの事で、丁度、太陰暦が太陽暦に替つたやうに、それよりも速い物質が出現したのなら、それを新たな基準とすれば良いと思はれるからだ。


     二〇一一年九月二十五日午前9時






■根底崩れた?相対論…光より速いニュートリノ
(読売新聞 - 09月23日 15:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1752889&media_id=20
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