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2009年11月21日07:05

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『空』と『無』に就いて

韓徳爾(ヘンデル・1685-1759)の有名な、

『ORUGAN CONCERTO Op.4 No.6-2 Larghetto』

といふ作品で、別に

『HARP CONCERTO (ハアプ協奏曲)』

としても知られてゐます。

音源は「YAMAHA QY100」で打込みました。

映像は・

『京都/亀岡 夢コスモス園』

で撮影しました。

お聞き下さい。


亀岡夢コスモス園HANDEL HARP CONCERTO Op.4 No.6-2 Larghetto



     『空』と『無』に就いて


 いきなりですが、『空』と『無』に就いて、私見を述べたいのですが、このふたつの違ひは、『文化』と『文明』の差異を説明するよりも、簡單ではないやうに思はれます。


 『空』と『無』はどう違ふのでせうか。
 どちらも同じやうに見えますし、「広辞苑(廣辭苑)」によれば、『空』の反對(はんたい)語は『有』となつてゐましたので、これでは益々『無』の場合と同じになつてしまつて、『空』と『無』の違ひが、うまく説明出來ません。

 般若心經(岩波文庫)によりますと、

 『空』と『無』は、

 『(色性是空 空性是色) 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』

 や、

 『無色・無明』

 のやうに、使ひ分けてをりますから、これら二つの言葉が、全く別のものである事は想像に難くありません。
 

「空あります」

 私の店の近くの駐車場に、こんな看板がありまして、

 「空(そら)あります」

 つて、私は思はず、
 
「ソラ下さい」

 と電話しさうになりました(笑)。


 これで解るやうに、駐車場の『有無』ではなく、『空(あき)』が有るか無いか、を問うてゐる事が理解出來ます。
 さうすると、『空』といふのは容器(ようき)若しくは『形式』で、『有無』が内容といふ事になる譯ですが、『空』といふのは「空氣」といふ言葉でも解るやうに、見えないから無いといふものではありません。
 何より其處には「空氣」を留めて置く可き、容器(いれもの)が有るのです。


 印度(インド)で『空』といふ概念が生まれたのと、「零」といふ數字が發明されたのは、偶然ではありません。
 「零」はその儘(まま)だと何もない事になりますが、他の數字をその前に置くと、忽(たちま)ち單位としてその機能を發揮するのです。


 『空車』とは車を駐車出來る空間がある事であり、『空室』とは人が入る可き空間がある事であります。
 『有』の反對が『無』なら、
 『空』の反對は『滿』である可きではないでせうか。
 『滿車・滿室』といふ風に…。


 處で『文化』と『文明』の違ひは何かといふと、『精神的なもの(文化)』と『物質的なもの(文明)』といふ事が言へるのではなからうかと考へるのですが…。

解析魔 kentaurosでした。




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