韓徳爾(ヘンデル・1685-1759)の有名な、
『ORUGAN CONCERTO Op.4 No.6-2 Larghetto』
といふ作品で、別に
『HARP CONCERTO (ハアプ協奏曲)』
としても知られてゐます。
音源は「YAMAHA QY100」で打込みました。
映像は・
『京都/亀岡 夢コスモス園』
で撮影しました。
お聞き下さい。
亀岡夢コスモス園HANDEL HARP CONCERTO Op.4 No.6-2 Larghetto
『空』と『無』に就いて
いきなりですが、『空』と『無』に就いて、私見を述べたいのですが、このふたつの違ひは、『文化』と『文明』の差異を説明するよりも、簡單ではないやうに思はれます。
『空』と『無』はどう違ふのでせうか。
どちらも同じやうに見えますし、「広辞苑(廣辭苑)」によれば、『空』の反對(はんたい)語は『有』となつてゐましたので、これでは益々『無』の場合と同じになつてしまつて、『空』と『無』の違ひが、うまく説明出來ません。
般若心經(岩波文庫)によりますと、
『空』と『無』は、
『(色性是空 空性是色) 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』
や、
『無色・無明』
のやうに、使ひ分けてをりますから、これら二つの言葉が、全く別のものである事は想像に難くありません。
「空あります」
私の店の近くの駐車場に、こんな看板がありまして、
「空(そら)あります」
つて、私は思はず、
「ソラ下さい」
と電話しさうになりました(笑)。
これで解るやうに、駐車場の『有無』ではなく、『空(あき)』が有るか無いか、を問うてゐる事が理解出來ます。
さうすると、『空』といふのは容器(ようき)若しくは『形式』で、『有無』が内容といふ事になる譯ですが、『空』といふのは「空氣」といふ言葉でも解るやうに、見えないから無いといふものではありません。
何より其處には「空氣」を留めて置く可き、容器(いれもの)が有るのです。
印度(インド)で『空』といふ概念が生まれたのと、「零」といふ數字が發明されたのは、偶然ではありません。
「零」はその儘(まま)だと何もない事になりますが、他の數字をその前に置くと、忽(たちま)ち單位としてその機能を發揮するのです。
『空車』とは車を駐車出來る空間がある事であり、『空室』とは人が入る可き空間がある事であります。
『有』の反對が『無』なら、
『空』の反對は『滿』である可きではないでせうか。
『滿車・滿室』といふ風に…。
處で『文化』と『文明』の違ひは何かといふと、『精神的なもの(文化)』と『物質的なもの(文明)』といふ事が言へるのではなからうかと考へるのですが…。
解析魔 kentaurosでした。
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