mixiユーザー(id:250900)

2022年01月21日00:12

58 view

佐倉紀行19 光勝寺 / 長源寺

 4日火曜日は成田街道道標から東方の丘の上にある時宗臼井山光勝寺へ向かいました。
 https://www.google.com/maps/@35.7335253,140.1865092,17z
フォト

 鎌倉時代前期に臼井荘地頭の臼井氏によって菩提寺として創建された寺院で、本尊は阿弥陀如来です。当初は真言宗でしたが、時宗の第2代遊行上人(ユギョウショウニン)他阿(1237〜1319)の巡錫(ジュンシャク)を機に臼井城主臼井祐胤(タネスケ)が時宗へ転向させました。本来は臼井城近くにありましたが、天正18(1590)年に臼井城が落城した後、現在地へ移転しています。
フォト

 当寺は「臼井八景」の一つ光勝晩鐘(コウショウバンショウ)の地となっています。
フォト

 一遍(イッペン)の宗風(シュウフウ) 己(スデ)に儼然(ゲンゼン)たり
 星霜(セイソウ)五百有余年
 鐘声(ショウセイ)遥かに響く孤雲の外
 知んぬ是(コ)れ称名(ショウミョウ)落日の前
フォト

 鐘楼からは印旛沼を望む事が出来ます。臼井八景が選定された江戸時代初期には眼下に香取海(カトリノウミ)が広がっていました。
フォト

 続いて、国道296号線を北上しました。この道は狭くて歩道が無いのに車の通行量が多くてヒヤヒヤです。
 途中、左手に臼井城の支城である臼井田宿内砦(ウスイダシュクウチトリデ)跡があります。宿内(シュクウチ)公園として整備されているんですが、時間が押し迫って来ていたので城郭上まで行くのは断念しました。
フォト

 国道から少し西へ入ると浄土宗龍沢山立忠院長源寺があります。
 https://www.google.com/maps/@35.7354065,140.181118,18z
フォト

 元亀元(1570)年に臼井城を支配下に置いていた生実(オユミ)城主原胤栄(ハラタネヒデ)が創建した寺院で、本尊は阿弥陀如来です。胤栄は本拠地の生実城下の大巌寺を保護していたため、大巌寺の道誉を招いて当寺の開山上人とし、同じ大巌寺と命名しました。道誉はその後、江戸の増上寺第9世法主となっています。寛永年間(1624〜44)に現在名に改称されました。
フォト

 国道296号線に戻って少し北上すると、国道が西南方向に折れ曲がる県道64号線との結節点に出ます。この一帯が、旧成田街道臼井宿(ウスイジュク)跡です。
 https://www.google.com/maps/@35.7353673,140.1823947,18z
フォト

 当地にあった伊勢屋は、明治14(1881)年から翌年にかけて明治天皇が三度立ち寄って昼食を摂った行在所(アンザイショ)にもなりました。
フォト

 旧臼井町道路元標もあります。
フォト

 大正時代に設けられた物です。
フォト

《続く》
8 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年01月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031