1日日曜日は、平野古墳群から国道168号線を北上して、この日最後の攻略目標である尼寺(ニンジ)廃寺跡〔史跡〕を目指しました。この国道は通行量が多いのに、歩道の無い狭い道なので歩くのはヒヤヒヤです。尼寺廃寺跡は香芝市の最北端になり、北隣は北葛城郡王寺町です。
https://www.google.co.jp/maps/@34.5722503,135.6980855,17z
この地には基壇や礎石が残りって瓦も多く出土していた事、さらには“尼寺”の地名から寺院跡だと推定されていました。そして、周辺の開発が進む中、香芝市教育委員会が塔跡と推定されていた基壇跡塔を中心に遺跡の範囲・内容確認調査を平成3(1991)年から開始、平成12(2000)年まで続けられました。
はこの基壇から巨大な地下式の心礎が検出されて一躍注目を浴びる事となりました。
調査の結果、中心伽藍は東向きの法隆寺式伽藍配置であり、北に金堂、南に塔が配置され,その周囲を東に中門が設けられた回廊が巡っている事が判明しました。回廊に囲まれた中心伽藍の範囲は南北約71.4m・東西約44.8mです。金堂の基壇は南北約16.2m・東西約13.6mで、塔は一辺約13.6m四方の基壇を持ちます。
また、寺域は南北110m以上・東西約80mと推定され、南面と東面には築地塀が設けられていた事が確認されており、東面築地塀のほぼ中央と推定される位置には東大門も検出されています。さらに、塔の瓦の型式や唐尺使用の可能性から7世紀後葉に創建され、8世紀に伽藍の大半が焼失、10世紀までに廃絶した可能性が大です。
一昨日の日記で記した平野窯跡群が本寺の瓦を供給していたと思われます。
ここには尼寺廃寺の解説や遺跡展示を行っている「学習館」が平成28(2016)年に設けられました。
入館は無料です。
周辺の遺跡地図もありました。
塔や金堂の例です。
塔基壇の構築過程の土層を剥ぎ取った土層断面の実物も展示されていました。
ガラス張りの床下に、平成7(1995)年に発見された長さ・幅とも3.8mの巨大な塔心礎の模型があります。
遺跡公園は近所のガキ共の遊び場になっていました。
塔跡です。
礎石は16個あります。
塔基壇の構築図です。
巨大な地下式の心礎の柱座からは耳環12・水晶玉4・ガラス玉3・刀子1からなる舎利荘厳具が出土、「尼寺廃寺塔跡心礎出土品」として奈良県指定文化財となっています。
金堂跡では礎石は見つかっていません。
回廊跡です。
こちらには礎石が残ります。
《続く》
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