mixiユーザー(id:250900)

2020年11月17日01:55

43 view

香芝紀行9 念通寺 / 志都美神社

 1日日曜日は顕宗天皇陵から国道168号線を北上した後、コーナンの角を西進してから北へ進み、融通念仏宗竹林山念通寺を訪れました。
 https://www.google.co.jp/maps/@34.558967,135.6980372,18z
フォト

 本堂は鉄筋コンクリート造です。
フォト

 境内の不動堂に石造浮彫不動明王立像(セキゾウウキボリフドウミョウオウリュウゾウ)〔香芝市指定文化財〕が収められています。
フォト

 本来は北方の志都美(シヅミ)神社の神宮寺であった清水山明王院の物でしたが、明治元(1868)年の廃仏毀釈(ハイブツキシャク)で明王院が廃絶したため、当寺に納められました。花崗岩製の
不整形石材を利用して、岩座に立つ不動明王像を浮彫にしています。鎌倉時代初期の作で、像高は63.5cmあります。
フォト

 続いて、更に北へ進んで、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・誉田別命(ホムダワケノミコト)・底筒之男命(ソコヅツオノミコト)を祭る志都美(シヅミ)神社〔延喜式内社〕〔村社〕を訪れました。
 https://www.google.co.jp/maps/@34.558967,135.6980372,18z
フォト

 弘仁4(813)年に内大臣藤原鎌足六世の孫である従四位民部少輔片岡綱利によって創建されたと伝えられる古社で、延喜式神名帳に「大和国葛下郡 志都美神社」と記されています。神宮寺として清水山明王院が設けられており、天文22(1553)年3月に従二位前右大臣の三条西公条(サンジョウニシキンエダ)が著した『吉野詣記』に以下の如く記されています。
 「しばらくありて片岡清水明王院にいたりて夜をあかしけり。九日、朝に出たちぬるに、明王院のあるじ。あしたの原まで壺をたづさへてきたれり。むかひのみねなどいふみねうちかすみて、まことに名あるところのさまなり」
フォト

 江戸時代入ると上里村・今泉村・高村の五ヶ所の氏神として厚い信仰を集めていました。元禄年間(1688〜1704)に盲目の法師が境内にある井戸で目を洗うと水の霊験で視力が回復したとされ、『大和名所図会』には清水八幡宮の名で紹介されています。今も手水舎の石に清水八幡宮の文字が残っています。
フォト

 明治元(1868)年の廃仏毀釈で明王院が破却されますが、現在でも明王院と記された石燈籠が一基残っています。また、古名の志都美神社に社名を戻していますが、これは清水(シミズ)がシヅミに転じただけだとの説もあります。
 明治13(1880)年8月に全国的にコレラが流行した際、氏子が氏神にコレラ菌の侵入防止を祈願した結果、一人の患者も出なかったのを喜んだ人々が感謝の意味で本殿背後石垣に『明治十二年八月虎列社病流行氏子祈願無一人患者無人数叶奉納』と刻んで奉納した記念碑があります。
フォト

 本殿です。
フォト

 銅板葺(ドウバンブキ)三間社流造(サンゲンシャナガレヅクリ)で、江戸時代中期の建立(コンリュウ)です。
フォト

 宇気持命(ウケモチノミコト)を祭る末社の稲荷神社です。
フォト

 志都美神社の社叢〔奈良県指定天然記念物〕です。
フォト

 コジイを主体としてアラカシ・クスノキ・スギ・ヒノキ等で構成される照葉樹林が広がっており、林内には、ヤブツバキ・アオキ・ヒサカキ・シャシャンボ・シロバイ・カクレミノ・リョウブも見られ、林床にはイヌマキやベニシダが優占して生育しています。
フォト

 隣接する武烈天皇陵の森と一体化して豊かな林相が維持されている貴重な存在です。
フォト

 万葉歌碑です。
 「片桐の この向う峰に 椎蒔かば 今年の夏の 陰にならむか」(巻7−1099)
 椎の原生林と重ね合わせれば、当社附近が舞台の歌と推定されます。
フォト

 当地は聖徳太子所縁(ユカリ)の地でもあります。石野博信(イシノヒロノブ;1933〜)先生の授業は学部時代に受けた事があります。
フォト

《続く》 
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年11月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930