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2020年01月23日03:19

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市川紀行20 下総国分寺 / 道の駅いちかわ

 5日日曜日は郭沫若(カクマツジャク)記念から北上して真言宗豊山(ブザン)派国分山下総国分寺〔史跡〕を訪れました。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7443425,139.9167884,18z
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 天平13(741)年に人皇第45代聖武天皇によって発せられた「国分寺建立の詔」により、「金光明四天王護国之寺」として下総国府の東北に建立されました。寺域は東西300m・南北350mにも及んでいました。
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 金堂と七重塔が東西に並ぶ法隆寺式伽藍配置でしたが、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではありません。
 1平安時代には真言宗豊山(ブザン)派国分山下総国分寺となり、建久年間(1190〜99)・寛元(1243)元年・文永年間(1264〜75)には、下総国分寺の寺領を指すとみられる史料が残されています。戦国時代の二度の国府台(コウノダイ)合戦や数度の火災によって詳細な文献は失われており、詳細な寺史は不明です。
 現本堂は、昭和初年に東京帝國大学工科大学教授岸田日出刀(キシダヒデト;1899〜1966)の設計で建立された物です。
 奈良時代の伽藍跡もは現在の国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所に当たり、東西31.5m・南北19mの規模です。
 講堂跡は本堂裏の墓地内に位置し、東西26m・南北18mです。
 七重塔は18m四方ですが、礎石は本堂前に移されています。
 昭和42(1967)年に国指定史跡となりました。
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 南大門です。
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 昭和53(1978)年に再建されました。
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 左は鐘楼です。
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 本堂です。
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 奈良時代の金堂跡に建っています。
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 本堂北方の墓地が、。奈良時代の講堂跡です。
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 東門です。
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 下総国分寺から東方へ向かうと、東京外環自動車沿いに北下瓦窯跡(キタシタカワラガマアト)〔史跡〕があります。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7441702,139.9186501,17z
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 国分寺の瓦を焼いていたと推定される北下瓦窯跡は、国分寺の東方約200m地点にあり、平成16(2004)年に東京外環自動車道建設に伴う発掘調査によって発見されました。窯跡は二つあり、一つは登り窯、もう一つは当時の最新技術であった平窯です。
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 北下瓦窯跡では鋳造遺構も発見され、平成17(2005)年に下総国分寺の梵鐘を製造した遺構であると確認されています。
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 更に平成21(2009)年から翌年にかけて、北下瓦窯跡に隣接する古代の国分川河道跡から、皿・椀・杯・斎串(イグシ)・人形(ヒトガタ)等の祭祀道具の外、大量の瓦も出土しています。この瓦は国分寺・国分尼寺の特徴である宝相華文(ホウソウケモン)が明瞭に残った軒丸瓦で、失敗したらしい平瓦の塊や墨書土器も見つかりました。
 この結果、平成22(2010)年に下総国分寺跡の附(ツケタリ)として国指定史跡となりました。
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 瓦窯跡から東京外環自動車沿いに北上すると、道の駅いちかわがあります。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7497605,139.9201307,19z
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 平成30(2018)年4月のオープンで、東京都心から最も近い道の駅になります。
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 各種土産物を纏め買いして実家へ送りました。
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 ここで遅めの昼食の予定だったんですが、既に1430時でランチタイムが終了していたため、肉まんを食べました。
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 道の駅いちかわでは、冬薔薇が沢山咲いていました。ブラッシングノックアウトって品種です。
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《続く》
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